中流層の崩壊、根拠乏しく

大阪大学社会経済研究所 大竹文雄
(『経済教室』日本経済新聞社2000年6月23日掲載)

失業増大などで話題にはなるが

日本はしばしば平等社会だといわれてきた。ところが、最近では中流層が崩壊しつつあるのではないかという意見が出されるようになってきた。最近そのような中流層の崩壊を特集した記事も相次いでいる。しかし、多くの意見はエピソードを中心にした印象論でしかない。多くは最近の事例だが、最新の統計データによって裏付けられたものではない。データの裏付けがないまま、中流層崩壊論を唱えることは危険である。

中流層の崩壊を指摘する議論には、いくつかのタイプがある。まず全体としての所得格差が高まっていることをその証拠とする意見である。最近の失業者の増大から、雇用されているものと失業したものの所得格差の拡大を指摘する声もある。

また企業内で年功的な賃金制度から成果主義的な賃金制度への変更が進められていることを理由にあげる人々がいる。さらには企業間競争の激化によって、企業間で賃金格差がつきはじめたことや、最近のネット関連株の乱高下に見られるようなベンチャー企業の創業者の創業利益をみて所得格差が拡大していることを指摘する人もいる。

どれもが一般の人々の直感と一致するためもあって、こうした指摘を受けると多くの人々は、日本の中流層は崩壊し二極分化しつつあると納得する。

しかし、所得格差を議論する上で注意すべきことが二つある。第一に、中流層の崩壊という議論とネットバブル長者の発生、失業者の増加という所得分布の両端の人が目立つようになったという議論とは、別の話であるという点である。

中流層の崩壊とは、所得分布の中程にいるグループが極端に減少し、所得の高い人と低い人に二極化することをいう。したがって、仮に所得の極端に低い層と高い層が若干増えたとしても、中流層の崩壊と呼ぶのは正しくない。

第二に、人口構成の変化の影響である。年齢とともに年齢内の所得格差は拡大していく。初任給の格差は小さいが、40代、50代になると、業種間格差、規模間格差、企業間格差、企業内格差がすべて広がる。人口の高齢化が進むと、全体としての所得格差は広大する。

しかし同一年齢内の所得格差が、前の世代が同じ年齢階層のときよりも格差が拡大しているかどうかが、中流層の崩壊の議論にはより重要である。日本では、同一年齢内の所得格差・賃金格差は拡大していない。つまり、全体としての所得格差が単に年齢構成の変化が原因で拡大していれば、中流層の崩壊とは言えない。

例えば、所得が同じ2人の人が同じ宝くじを買ったとして、抽選前後を比べると所得格差は抽選後の方が高い。抽選が行われる前に、宝くじに当たった人がいないから所得格差のない社会だというのはナンセンスである。人口の高齢化の進行は、人生における宝くじ部分の抽選結果が出てしまった人が多くなることを意味する。

かつて日本が平等社会にみえたのは、単に若年層が多かったというみかけの理由にすぎなかったともいえる。現在不平等になりつつあるようにみえるのは、年をとれば所得に格差がつくという日本の元来の不平等が表にでてきているにすぎない。


高齢化で格差が開くのは別の話

図1は、男性の年齢内所定内賃金格差を示している。ここで、賃金格差は、極端に所得の高い人と低い人の影響を除くために、上から10%に当たる人の賃金は、下から10%に当たる人の賃金より何%高いかという指標で示されている。

日本の年齢内賃金格差は年齢層が若いほど小さく、年齢層が高くなっていくに従って広がる。初任給の格差は大きくないが、年齢を経るに従って、昇進格差、査定による格差、企業規模間格差などが拡大していくのである。そして、構造は過去20年ほど非常に安定している。世帯所得でみても同様の傾向は観察できる。

このように年齢内所得・賃金格差が年齢とともに大きくなり、その構造が安定的である場合には、人口が高齢化すれば、全体としての所得格差は高まる。

図1に示されたように年齢内の賃金格差に拡大傾向はない。それでは、学歴別にみるとどうであろうか。図2は、大卒男性の年齢内賃金格差の推移を示している。大卒男性の年齢内格差は、40歳を境として特徴的な動きを示している。40歳以上では、90年代に入って、年齢内賃金格差が上昇傾向にある。おそらく40歳代の賃金格差の拡大は、年俸制の導入や業績重視型の賃金の導入や中高年におけるリストラといったことと対応している。

しかし、全体でみた年齢内賃金格差が拡大していないことから、高学歴化により大卒ホワイトカラーの中での人材のばらつきが大きくなったことが、大卒中高年の賃金格差の拡大をもたらしていると解釈すべきである。実際、高卒男性の年齢内賃金格差は、ほとんどの年齢階層で低下している。

加えて最近の格差拡大を人々に強く意識させるようになったのは、賃金の低下があちこちで観察されているためだろう。年俸制の導入で賃金低下に直面したり、リストラでより低い賃金の企業で働くようになったり、パート・派遣労働に変わったことで正社員のときより賃金が低下するという事態が発生している。

こうした賃金の低下に直面した人々が、一部のネットバブルに見られる高所得者層をみて、格差が拡大したと感じる可能性は高い。所得減少という長い間日本では経験しなかった事態と所得格差の拡大が同一視されている可能性がある。


悪と言い切れぬITによる格差

中流層崩壊論にはコンピューターを使える人と使えない人の所得格差拡大とという「デジタル・デバイド」論を重視するものもある。確かに米国で、所得格差の拡大要因として有力視されているのは、情報技術(IT)などの革新が、ITを使える人への労働需要を急増させたためだ、との考え方である。

実際に米国ではパソコンの使用の有無が所得格差の原因になっているとの研究結果もある。ところが、いままでのところ日本ではITと所得格差の関連を示す証拠はない。もともと同一年齢内の賃金格差が拡大しているという証拠はないのである。

もちろん派遣労働者の賃金、就職の容易さなどにパソコンの使用能力が影響しているのは確かである。しかし、全体としての所得格差の変動にどの程度の影響を与えているかは不明である。

仮に、ITで多少の所得格差が生じても、それ自体は必ずしも悪いことではない。所得格差がITの学習意欲を高めるからである。

その際政策的に必要なのは、IT学習のための資金がない人への補助である。十分な能力開発機会があれば、ITは所得格差を長期間助長する要因にはならない。

これまでに得られた統計を調べてみても、年齢内所定内賃金格差や年齢内世帯内所得格差が急激に上昇しているという証拠はない。はっきりと格差が拡大しているのは、40歳代の大卒男性の中での所得格差である。

しかし、他の学歴まで含むと格差は開いていない。大卒ホワイトカラー中高年齢層に限れば格差拡大という表現は正しいが、中流層の崩壊という表現は正しくない。

かつて学歴間格差という形で存在した所得格差が、高学歴化によって大卒内の所得格差拡大という形で見えているだけである。何事も冷静な分析を要する。




<図1・図2出所:賃金構造基本統計調査(労働省)>