第15回OFC講演会
講師
大阪大学大学院経済学研究科 教授 高尾 裕二 氏
会場風景
講演要旨
本日はプラクティスの性格が濃厚な財務会計にあって、大学の研究者達が一体どのようなことに関心をもち、これまで何をしてきたのかについて、「リサーチとしての財務会計」と題して、その概要をお話してみたいと思います。少しでも皆様に役に立つことがあれば……と心より願っています。
Ⅰ.財務会計における主要な対立軸
財務会計あるいは制度会計とはいえ、アカデミックな世界では、決して、「直接的に」会計基準の設定あるいは設定された会計基準の解釈だけにすべての関心を注いできたわけではありません。「直接的」でない財務会計に関する議論の一端をご紹介したいと思います。
雑誌『企業会計』(2004年1月号)で「会計上の対立する概念」という特集がありました。私の言う「間接的」な議論と直接関連しているわけではありませんが、一般的な意味でリサーチとしての財務会計が「解決すべき」論点を示しているということで、私自身の考えも加味して取り上げてみたいと思います。
財務会計の論点は2つの相対立する概念なり見解なりが併存するケースが少なくありません。
A.財務会計の目的・機能 貸借対照表や損益計算書、キャッシュ・フロー計算書に記載される情報ないし数値が、金融・資本市場の参加者である投資者の意思決定に役立つものでなければいけないとする考え方があります。これを「会計の情報提供機能」と称しています。これに対して「会計の利害調整機能」という考え方があります。これは、商法の「配当可能限度額」の算定に典型的にみられるような企業の利害関係者、例えば、経営者・株主・債権者、従業員などのもともと利害が対立するポジションにいる企業のステークホルダー間の利害の調整を会計システムから生み出される会計数値が果たしているとする見方であり、相対立するステークホルダー間の利害を巧みに調整し、組織体としての企業活動の継続を可能ならしめる会計の働きに注目する立場です。
この2つの立場のいずれを重視するかで、全体的な会計制度あるいはそれを構成する個々の会計基準の内容が大きく異なってくる可能性がありますが、細かな話は省略します。
B.フローかストックかの選択 次の主要な対立軸は、利益をどう計算するのか?つまり「会計上の利益観」に関するものです。ここで「企業の達成した成果としての収益に対して、それを達成するために費やされた努力(犠牲)としての費用を、期間的に『対応』させることによって、その差額として利益が算定される」(「会計基準の基礎概念」p.148)と考える「収益・費用アプローチ」の考え方が一方であります。フローの観点から、利益を把握しようという立場です。これに対し、資産を「将来の経済的便益」、負債を「将来の経済的便益の犠牲」と定義し、資産と負債の差額である資本について、期末の金額から期首の金額を控除した差額が利益であるとする立場があります。ストックの変動として利益を捉えようとするものであり、この考え方は、「資産・負債アプローチ」とよばれています。
現在では、時価評価の拡大等を踏まえ、「資産・負債アプローチ」が主流であるとの見方が一般的ですが、この対立軸は、会計の計算構造を規定する根幹の意見対立であるといえます。会計とは、キャッシュ・フローの期間的な「配分・対応」を取り扱うものであるのか、あるいはいわゆる「価値評価」を指向するものなのかという問題設定も、同じことの別の表現です。これらの対立軸は見方を変えると、会計におけるフローかストック(の変動)かの選択の問題であるとも言えます。
C.ストックの評価基準の選択 次にストック次元での対立軸を考えてみましょう。これは、「取得原価主義か時価主義か」という原価・時価論争です。ストックの評価基準として、財を購入した時点での価額、つまり原価に基づく評価がいいのか、取得後の現時点で成立している市場価格などをベースとしたカレントな(公正な)評価額、つまり時価がいいのかの論争です。歴史的にみれば、1929年のアメリカの大恐慌を契機として従来の時価評価から原価評価に大きく振れましたし、金融自由化の副作用として、80年代以降のアメリカでのS&L(貯蓄貸付組合)の危機を契機として、原価評価からまたまた時価評価の方向に振れることになりました。時価主義論者からみれば、原価評価での「含み益」が企業業績に対する経営者裁量の土壌となり、投資者にとって原価評価は不透明な会計情報となるのであり、企業の実態を適切に開示し、経営の透明性を確保するためには、時価評価が必要だということになります。他方、原価主義論者からいえば、一口に時価といっても、その内容は多様であり、時価の選択に当たって却って経営者の裁量が行使される可能性があること、その時価で資産がすべて売却されるわけではないこと(例、売買目的有価証券)、決算日の時価だけが対象となってしまうこと、等々の反論が出されることになります。
このようなストック次元での対立軸である原価か時価かといった論点は、個別企業の貸借対照表のみに関わる問題ではなく、企業の合併・買収(さらには連結)といった、現在大変な関心を集めている「企業結合会計基準」においても核心の論点となるということは覚えておいてよいことかもしれません。
D.フローに関する尺度の選択 フロー次元での対立軸に目を移すと、大きく2つの論点に整理できます。一つは、価値の増加・価値の減少という事実を捉えて企業の一定期間の成果を算定するか、時間的に少しズレた決済時点でのキャッシュの動きに注目して一定期間の成果を算定するかという対立軸です。いわゆる(発生主義会計上の)利益かキャッシュ・フローかの論争です。もう一つは、上記の(発生主義会計上の)利益かキャッシュ・フローは、市場経済を前提とした販売といった市場でのチェックを経験した利益、つまり実現利益を意味する点では同じ性格を有するとも言えますが、市場でのチェックを経験しない損益、つまり評価損益も積極的にどんどん利益に含めていこうという立場があり、このような利益を現行の実現利益に対して「包括利益」とよんでいます。包括利益は、例えば「資本取引を除く、一定期間における持分のすべての変動を含む利益」と考えることができます。実現利益か包括利益かがフロー次元での二つ目の対立軸です。
E.フロー・ストックの連携か切断かの選択 簿記の知識をお持ちの方はフローとストックは複式簿記の上では結びついていることはご存知でしょうが、ストック次元での選択問題とフロー次元での選択問題については、この意味である種の結びつきが示唆されることになります。例えば、原価評価に固執すると必然的に実現利益が選ばれることになり、また時価評価を積極的に支持するとすれば包括利益に至るといった具合です。このような状況は、ある意味では、議論を大変混乱させる原因になると思います。さらにいえば、フローの議論を純化して追求しようとすると、ストックが意味のないものになり、また逆のことも言え、一層のことフロー表(損益計算書)とストック表(貸借対照表)の関係をブッちぎればどうか、といった議論も出てきます。現行の仕組みがフロー計算とストック計算を複式簿記で結びつけた連携型財務諸表であるのに対して、非連携型財務諸表の考え方がこれです。
Ⅱ.財務会計上のアカデミック・リサーチの展開
次にリサーチとしての財務会計のこれまでの展開を概観してみたいと思います。
A.エンピリカル・スタディ
(1)資本市場研究 先に対立軸の話で、会計の目的は投資者の投資意思決定に有用な情報を提供することであるとする情報提供機能を指摘しました。1966年にアメリカの会計学会が、会計の目的を情報提供機能に置くことを明確に宣言したステートメントを公表したあと、70年代に入り、大量の企業の財務諸表上のデータと資本市場における株価データを統計的に分析するという、エンピリカル・スタディが多く出現することになりました。典型的なものは、例えば、企業による利益の公表は株価の形成にインパクトを与えているか否かを統計的に分析し、設定された仮説に対して証拠を提示するといったものです。最も単純な実証モデルとしては、例えば、次のようなものがあります。
Pit : t期の企業iの株価 Eit : t期の企業iの利益
(2)経営者の会計手続選択論 上記の資本市場研究とは異なる新たな問題意識に基づくエンピリカル・スタディが80年代に入って出現することになりました。これは棚卸資産の期末評価という一つの経営事象に対して、それを認識・測定する一般に認められた会計手法には、先入先出法、平均法、後入先出法、最終仕入原価法等々、多数あります。そこで経営者が「認められた会計手続集合」の中から一つを選ぶといった会計手続選択が生じます。一体、経営者はどのような経済的理由から一つの会計方法を選択するのか、そして「一般に認められた会計原則」の枠内で、どのような利益を作り出そうとしているのかを実証的に分析する会計手続選択論とよばれる分野です。これは冒頭指摘しました会計目的でいいますと、経済的ポシジションを異にする様々なステークホルダーとの契約の中で、経営者は実際のところどのような利益の水準が望ましいと考えているのかを経済的に説明しようということにつながることから、利害調整に指向したエンピリカル・スタディであると言えます。
一般的な、実証モデルの様式を、次に掲げておきます。ここでYit には、経営者の会計手続選択を表す代理変数がきます。大変技術的になってしまいますが、一般的には「会計発生高」、より詳しくは裁量的会計発生高が用いられることが多いです。ここで会計発生高とは、会計利益から営業活動によるキャッシュ・フローを控除したもので、発生主義会計に固有の調整項目を示しているものです。説明変数のX1,it には、経営者が利益を増加させたい、あるいは減少させたいと思う経営者の会計選択を駆り立てる動機の代理変数がきます。利益連動型経営者報酬制度のあるなし、財務制限条項の存在を念頭においた負債/資本比率、政治コストの代理変数とされる企業規模などが一般的な説明変数です。
Yit = β0 + β1X1,it + β2X2,it …… +εit
Yit :t期の企業iの会計選択の代理変数
X1,it:t期の企業iの会計手続選択に影響を及ぼすと予想される変数
(3)資本市場研究と会計手続選択論の結合 もっとも、経営者が会計手続を選択し、その結果として利益が算定され、算定された利益が開示されることにより、資本市場などに影響を与えて行くわけですから、本来、上記の2つのエンピリカル・スタディは、経営事象を認識し、測定し、記録し、報告・開示するという一連の会計行為において、結びついているはずです。実際、90年代半ば以降、資本市場研究と会計手続選択論は、両者のうちどちらにウエイトを置いたものであるかといった濃淡はあるにせよ、渾然一体として展開されるようになってきました。以下で同様に、最も単純な実証モデルの例を掲げていますが、被説明変数は株価ないし株式リターン、説明変数には、経営者の会計選択を代理する変数が少なくとも一つ含まれることになります。
R
it =β0+β1CFOit +β2ACit +ε it
Rit:t期の企業iの(市場リターン控除後の)株式リターン
CFOit:t期の企業iの営業活動からのキャッシュ・フロー
ACit:t期の企業iの会計発生高
B.エクスペリメンタル・スタディ(実験研究) 現在に至るまで広範囲になされているエンピリカル・スタディの一つの弱みは、あくまで現行の会計制度を前提としたものであるという点です。例えば、エンピリカル・スタディで最も重要な会計数値である利益でいえば、基本的には、依然として実現利益がこのエンピリカル・スタディの前提になるということです。それゆえ例えば、わが国においてはまだ制度化に至っていない包括利益が、株価にどのようなインパクトを与えるのかといった点について証拠を得たいと思っても無理です。データがないのです。そこで、仮想的な実験空間のもとで、被験者の行動を観察し、そこから得たデータを分析し、証拠にしようというエクスペリメンタル・スタディも欧米では90年代以降、会計学分野に次第に浸透してきています。
C.理論分析・モデル分析 理論分析あるいはモデル分析は、経済学の分野ではごく当たり前のことですが、経営事象の認識・測定・記録・報告・開示という独特の情報生産システムである会計プロセスを、モデルで表現するということが極めて難しいことから、財務会計分野での理論分析あるいはモデル分析とよびうる成果は、これまでほんのわずかしかなかった、あるいは先のエンピリカル・スタディに比べてほとんどなされてこなかったと言えます。ここでいう、財務会計分野での理論分析あるいはモデル分析とよびうる成果とは、企業行動に及ぼす一般的な意味での情報の役割を分析するモデルというのではなく、固有の情報生産システムである会計プロセスを念頭におき、かつ情報の内容に一歩踏み込み、例えば、原価情報と時価情報の識別といったように、会計情報の特性を踏まえた上での理論分析・モデル分析といった程度の意味です。90年代の終わりごろから、このような論文が徐々に出現してきたように見えます。
いろいろなリサーチのタイプがあると思います。ただ、お隣の「経済学」などをみますと、問題意識に基づいて分析したい課題についてモデルを構築し、エンピリカル・スタディを用いるのであれ、エクスペリメンタル・スタディを用いるのであれ、構築されたモデルに関する証拠を収集し得られた証拠から当該モデルの妥当性を判断する、このような判断に基づいてある種の政策的なインプリケーションを得るというのが、一つの典型的なリサーチのスタイルだとすれば、財務会計の分野においても、遅ればせながら21世紀に入りようやくこのような社会科学一般の研究スタイルを実施しうる環境の整備がなされつつあるといった印象を受けます。
ちょうど、一世紀前の20世紀初頭、財務会計は大きな変革を体験しました。19世紀末までの財産目録中心の、つまりストックに焦点を当てた「評価思考」から、「会計は本質的に評価のプロセスではなく、歴史的原価と収益を、当期と次期以降の会計期間に配分するプロセスである」とするフローに焦点を当てた「配分・対応」思考に基づく発生主義会計が誕生したのでした。
1世紀を経過し、エンピリカル・スタディが先行してきた財務会計の世界にあっても、モデルの構築とそのモデルに基づく実証という社会科学一般の研究手法が、今、普及・浸透しつつあるように思えます。
Ⅲ.財務会計上のアカデミック・リサーチの目指すもの
それでは、アカデミック・リサーチは何を目的にしているのかを次に改めて考えてみたいと思います。モデル分析であれ、実証研究であれ、最終的な目的は一体何かということです。これらのリサーチの目標は「望ましい会計制度とはどのようなものなのか、何がよい会計基準であり、何が悪い会計基準なのか」の判断材料を提供すること、要するに、会計制度・会計基準を評価する・比較考量することにあると考えてよいと思います。もう少し具体的にいえば、先に指摘しました財務会計上の基本的な「解決すべき論点」に関して、いずれを選択するのが望ましいのか、について一定の指針を得るということです。
もちろん、「直接的な」会計基準の設定あるいは会計基準の解釈に指向してきたこれまでのあるいはプラクティカルな議論においても、会計基準を評価するという視点が存在しなかったというわけではありません。ただ、その評価規準ないし準拠枠という評価の視点が、計算・開示構造の首尾一貫性という観点からなされてきたということです。アカデミック・リサーチとしての財務会計は、株価形成との関連性、取引コスト、生産者余剰・消費者余剰といった経済的厚生、経済政策との適合性といった、より広範な視点から会計制度・会計基準を比較考量することにより、会計基準の設定あるいは会計基準の解釈に貢献しようとするものです。
大阪大学では、応用ミクロ経済学、計量経済学あるいは実験経済学といったそれぞれの専門の先生方のご指導を得て、新しいタイプの会計研究者が育っています。今後も引継き育ってほしいと希望しています。少し異なる視座からの財務会計スキルの向上に関心のある方々には、阪大大学院にも是非関心を持ってもらいたいと願っています。
*本稿は、講演者本人が講演の原稿をもとに、本人の責任で改めて作成したものです。