第8回OFC講演会
演題
「内からみたアメリカ大学教育の実態」
開催日時/場所
平成14年7月15日(月)午後6時半~ / 梅田センタービル
講師
大阪大学大学院経済学研究科 教授 堀場 豊 氏
会場風景
講演要旨
本日はアメリカの大学教育制度について、私なりの経験をもとにしてお話したいと思います。アメリカの大学教育制度につきましては、マスメディアその他各方面から注目され、報道されておりますが、まだよく伝わっていない面もあるのではないかと思われますので、私が長年見てきたアメリカの大学教育の実態をお話して、何かのお役に立てればと思います。
アメリカの大学制度の概要につき、各方面から集めて来ましたデータをお配りしておりますが、相当に細かいデータも入っておりますので、本日はこの中から主だったものだけを取り上げて話を進めさせて頂きます。
まず、大学の総数についてみますと、総合大学と短期大学合計で4,084校(2000年度)となっています。ここでいう大学として規定されるためには、まずU.S. Department of Education(連邦教育省)から承認された外部評価機関あるいはAgencyが、定期的に大学行政、財政状況、教官の資格、授業内容などを詳しくチェックし、大学として認められる一定の基準を満たしているかどうかの認定にパスしなければなりません。もしこの基準を満たしていなければ、改善すべき事項などの条件がつけられ、一定の期間内に改善されなければ、大学として失格ということになります。この外部評価機関により評価するというAccreditation制度は、アメリカ大学教育では徹底しており、歴史的にみても1870年には563校の大学が存在したわけですが、このすべてにAccreditationのチェック機能がすでに出来上がっておりました。
次に在学学生総数をみてみますと、2000年では1,479万人で、うち男子学生649万人、女子学生830万人、比率でいえば44%対56%となっており、女子の方が10%以上も多いという興味ある事実がみられます。男女学生数の推移を歴史的にみると、以前は男子学生の方が女子より多かったのですが、1970年代の後半に逆転し、それ以降はその差が開いてきております。
教官総数は2000年にアメリカ全土で103万人であり、教官一人当たりの学生数は平均14名と少なく、相当密度の高い教官指導の下で、勉学できるという恵まれた大学教育環境にあるといえます。
大学卒業生の卒業証書別人数のデータがあります。短期大学等で2年勉強したあと一定の単位をとって得られるアソシエート(Associate)と4年制大学卒業時に取得するバチェラー(Bachelor)がありますが、大半がバチェラーであり、2000年度の新規バチェラー取得者は124万人です。更に大学院ではマスターとドクターがあります。マスターは概ね大学院2年在学で取得されるもので新規取得者46万人となり、ドクターは平均大学院在籍6年前後で取得するのが大体のケースであり、2000年の1年間で4万4千人が新規にドクターになったわけです。これは国の人口比でみても日本の数を圧倒していることがわかります。
2000年度に博士号を得た4万4千人のうち、経済学博士とビジネス・スクールからの博士号を合計すると約2000名にのぼり、その大半は大学職を求めたことになりますが、就職は厳しい状況にあります。特に、博士課程をそなえた大学院をもつ総合大学はわずか100校余りであり、その中でもAAU(Association of American Universities)に入っている大学(これはカタゴリーⅠ級と呼ばれるリサーチ総合大学になりますが)は63校にすぎません。これらの大学の新規採用教官数は各大学一学部当りせいぜい3~4名ですから、こういった大学に就職することは相当な競争と困難を伴います。
ここに、学生数の多い順に上位120校のリストがありますが、上位10校は学生数4万人以上の大規模な大学です。120校のほとんどは州立またはその他の公立大学でありますが、その中に多くのCommunity Collegeが含まれています。これは2年あるいは4年制の社会人教育を主とするもので、この事を見ても如何にアメリカで社会人教育が普及しているかがわかります。
次にアメリカの人口に対する大学教育の浸透度をみてみましょう。ハイスクール卒業後すぐの大学進学率は2000年度で男子59.9%、女子に至っては66.2%という高水準であり、加えて1~2年の就職をへて大学に入る人達も多くいますので、大学進学率はより高いものとなります。
就学中の学生を1999年のデータで、いくつかの範疇にわけてみます。学部生男女合わせた1,268万人のうち、フルタイムで就学している学生は774万人で61%、残りの495万人は何らかの職につきながらパートタイムで就学している人達です。このパートタイム就学者の年齢別の構成をみますと、25~29歳の年齢層が16,2%と最も多いのですが、40~49歳の人達も13,8%と大層多くなっています。さらに大学院でパートタイムで学んでいる人達を含めますと、社会人として大学教育を受けている人の実に21,4%、つまり5人に1人が40~49歳の年齢層ということになります。このことは、すなわち生涯教育を受けることができる柔軟性のある教育体制と、それをサポートする社会制度というものが存在することを物語っているように感じます。
次に大学教育にかかるコストの面からみてみましょう。まず公立4年制大学の年間授業料、寮の宿泊費と食費の合計は2001年度では平均8,655ドル、私立4年制大学では21,907ドルとなっています。このように大学教育は高くつきますが、その反面、奨学金とか教育費への連邦政府特別ローン等があり、何らかの形で援助金を受けているフルタイムの学生の割合は約半分、49.2%にのぼっています。一人当りの平均援助額は6,832ドルと大層高額になっており、個人的な教育費負担は相当緩和されていることがわかります。
次に大学経営のための収入源をみてみますと、公立大学の1997年度の全収入は1,300億ドルという莫大な金額になっておりますが、そのうち学生が授業料として支払ったのは247億ドル(19%)、州政府からの助成金は463億ドル(35%)となっています。私立の場合でも授業料が総収入に占める割合は30%を切っております。その為公、私立共その他の収入源を確保しなければなりませんが、寄附金については税制がよく整備されており、出資側へ寛容な所得税優遇措置がとられ、又伝統的なフィランソロフィーの精神も相まって、寄附金とその累積資産運用益は公、私立とも重要な大学経営収入源となっています。
このような教育システムのもとで働く私達教官にとり最も身近な事項は、毎年行われる業績評価と、着任6年後に行われるテニュア(tenure 教員終身雇用)決定に関する評価です。まずテニュアについては、4年制の総合大学では正教授と準教授は殆どテニュアをもっており、終身雇用が保証されていますが、助教授にはテニュアがありません。博士号を取得して新規に助教授として大学に籍をえた場合、その6年後にテニュア取得という大きな試練があるわけです。必ず外部の専門家それも相当知名度の高い学者、少なくとも3名、通常は4~5名による研究業績評価が行われ、さらに学部内での教育実績と貢献度を加味してテニュアをもつ教官による投票により推薦され、その上で学部長、更に学長レベルでようやく決定されるという厳格なものです。テニュア決定で落とされますと一年後に解雇されますので、助教授ははじめの6年間は死にもの狂いで研究に励むことになります。
テニュアにパスしましても毎年学部長による業績評価と各講義についての学生のアンケートによる評価(これはアメリカでは殆どの大学で義務づけられています)により翌年の教官のサラリーが決定されるというわけで、報酬に関しては学部内でも大変バラつきがはげしくなり勝ちですが、これはアメリカ人が共有するフェアネスの原理、つまり業績のみに正当化された公正の観念であるといえましょう。
ご存知のことと思いますが、アメリカでは一貫してリベラルアーツ教育を学部レベルで行っています。わかり易く云えば自然科学、社会科学、芸術、言語、その他人文科学を広く取り入れた一般教養課程を4年かけて行い、その中で専攻分野を決めていくわけであります。卒業に要する総単位中、ほとんどの場合3分の1以内程度の単位を取得しておけば専攻課程の単位を満たすことが出来ます。従って非常にフレキシブルな形で学生に最大限のコース選択肢を与えているということになります。それでも各科目については毎週3~4時間の授業を行い、テスト、宿題等々頻繁にあり、相当密で学生をしぼる学習内容となっています。
入学に関しましては、各個人についてハイスクールの成績や推薦状、その他SATと呼ばれる能力適正テスト等に加えて、必ず書かせる随想によりケースバイケースで随時入学を決定していきますので、入学発表のように一度に発表することはありません。そういうわけで、各大学の入学の門は一般に広くしていますが、その代わり入学後に相当厳しい成績及び単位取得条件が設けられており、入学後に篩にかけられていくことになります。こうしたリベラルアーツ教育を受け、本当に専門的分野に特化するのはその後の大学院あるいはプロフェッショナルスクールということになります。
最後に公共投資財としての大学教育について私なりの見方をお話したいと思います。
第6回のOFC講演会で、猪木武徳先生が『新世紀の日本経済と人材育成』と題して講演されましたが、その中で先生は「結局のところ、どれだけ豊かな人材を一国の経済がもっているのかがその国の経済の現在および将来を規定することになります」と実に端的にズバリと核心をついておられました。先生は人的資源、人材育成という表現を使われましたが、私は人的資本という言葉を好みます。つまり教育が投資活動である限り、その見返りとしての収益率はどうかということになりますが、教育という投資に関する限り私的及び公的の両面から考えることができます。私的な収益率、すなわち教育に要した時間と金銭的なコストを費やしたがゆえに、生涯の賃金がその分高く得られると考えますと、アメリカの場合10数%の私的収益率があります。これは流動性があり、概ね市場原理がうまく稼動している労働市場があっての事です。少々打算的ではありますが、その私的収益率の高さが多くのアメリカ人が大学教育を求めている大きな要因であると思います。そしてこのことは、今後流動性が増してくる日本の労働市場にもあてはまるべきことだと思います。
教育投資への公的収益率についてはどうでしょうか。少し古くなりますが、10年ほど前の世界銀行の試算では、各国平均の公的収益率は実に11%前後という非常に高い数値を推定しています。この意味では、今まで日本で行われてきた公共事業の中で、10%、11%という高い公的収益率がどれ位あったのだろうかと考えてみる必要があるかと思います。特に昨今落ち込んだ日本経済の長期的打開策を考える時、選択肢はただ一つ、日本人特有の頭の良さと勤勉さ、そしてそれに培われた人的資本形成、このことしかないと思います。そのため、教育制度を強化し、さらなる投資活動を行い、日本人一人一人が最大限に開花できるような体制作りをすることが早急に求められているのです。
しかし現実はどうか。ここに身震いするようなOECDのデータがあります。学生一人当りに教育費として使われた税金、つまり公共投資額は、1998年度でアメリカの一人当り19,802ドルに対して、日本はその半分にも及ばない9,871ドルでした。また大学教育に充てられた公共費をGDPで割った数値を国際比較したデータによりますと、アメリカは1.3%、日本はその1/3にも足りぬ0.4%です。これはOECD諸国の中でも最低値になっております。
昨今国立大学の改革案が出されております。この中に国の負う大学教育費分担分の削減というスタンスが見えるようですが、根本の大問題、明るく開かれた日本の将来を築くためのただ一つの選択肢である人的資本形成を如何に前進させるべきか、国を挙げて新規人的資本投資活動にどう取組んでいくか、という肝心要のスタンスは、今の時点では残念ながら明確には見えてこないと思います。これこそ真の日本の危機ではないでしょうか。ご清聴有難うございました。
*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。