第22回OFC講演会
★東京待兼会(経済学部同窓会東京支部)の秋季懇話会と共催で行いました。
演題
「リスク・ファイナンスにおける安心社会」
開催日時/場所
平成17年11月18日(金)午後7時~ / 東京 鉄鋼会館
講師
大阪大学大学院経済学研究科 教授 田畑 吉雄 氏
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会場風景
講演要旨
リスクとは、危害や損害と感じる恐れのある状態や可能性を指し、「感じる」という主観性と「恐れがある」という不確実性があります。人間の活動には必ずリスクが伴いますから、「君子危うきに近寄らず」では生きていけません。ある程度リスクを覚悟して安心に暮らすために、お金をどう手当てしていくかが、今日お話するリスク・ファイナンスです。
まず、個人のレベルでリスクとはどういうものかを考えてみましょう。例えば、子供が来秋に結婚することになり、旅行会社の新婚旅行パック料金が200万円であるとしましょう。現在200万円持っているから大丈夫と思っていたら駄目なのです。来年には料金が202万円に値上がりするかもしれないからです。その対策として、200万円をタンス預金、定期預金、外貨預金、株式の購入、先物の利用、あるいはギャンブルで大儲けしようという人もいるかもしれません(笑)。パック料金が上がるかも知れないリスクを、果たしてこういう対策でヘッジできるでしょうか。タンス預金では金利がつきませんし、盗まれたり、振り込め詐欺に遭ったりするリスクがあります。しかも202万円は賄えません。年利1%の定期預金なら202万円になりますが、銀行が潰れるかもしれません。定期預金と利率10%の外貨預金に100万円ずつ投資すれば、1年後は211万円になりますが、外国の銀行は何時潰れるかわからない信用リスクやカントリーリスクがあります。さらに、円とドルとの為替リスクもあります。それでは来年のパックを202万円で予約しておく先物契約をしておけば安心ですが、2万円をどう捻出するかです。そのためには先物契約と定期預金を組合わせれば解決します。しかし、パック料金が190万円に値下がりしても202万円支払わなくてはなりませんから、損したみたいな感じになりますが、それは考え方によってはリスクの保障代と解釈できます。
一般に、将来のリスクが大きければ、備えの方もリスクを取らないと対処できませんので、例えば、リスクを犯して株を買ったとしましょう。株が下がるかもしれないから、ひと工夫してホテルや旅行業と相関の高いレジャー株を買ってみる。もしパック料金が上がれば、レジャー関連株も恐らく上がるから大丈夫だと思われます。逆に下がったときは、景気が悪いからパック料金も下げてくるだろうから、これも大丈夫だと思われます。ところが逆に動いたり、相関のないときはどうすればよいかの問題があります。
もしオプション市場があれば、パック料金が下がっても先物のように契約金額202万円を支払うという義務を果たさなくてもいいのです。オプションとは、来秋に202万円で買う「権利」のことで、190万円のときには権利を行使しなくてもよく、250万円になれば権利を行使して202万円で買えるわけです。オプションは実際に資本市場で売買されているのですが、そんな手段があれば役立つのではないかと思います。
先物を利用した企業レベルのリスクヘッジの例として、原油高に対してJALとANAは、1バーレル57ドルと54ドルで先物契約を結んだそうです。ヘッジ率はJALが半分で、ANAは80%をカバーしたそうです。また、2001年に東京電力と東京ガスが夏の気温のリスク・スワップを行いました。暑い夏にはクーラーを使うから電気が売れて儲かるが、ガスは余り使われないからガス会社は儲からない。そこで両社の取り決めで、8,9月の平均の気温が26.5度以上ならば、東京電力は東京ガスに所定の金額を支払い、逆に、涼しければガスが電力に支払うというものです。これでお互いに気温のリスクをヘッジでき、さらに、料金の安定にも役立っているのです。
では、リスクの大きさをどのように測るのでしょう。自然科学の世界では、発生確率に損害額をかけたものをリスクの大きさと考えています。これには客観性はありますが、BSEは肉屋さんにはリスクですが、魚屋さんには絶好の機会のように、リスクは人により感じ方が違います。個人間のリスクの感じ方の違いを表現するために損害額に対する効用を計算する方法があります。効用をどう測定するかは、最近の実験経済学で、アンケート調査や人間の心理学的な考え方を質問結果から推計する方法が進んでいます。これである程度わかりますが、客観性に欠ける欠点があります。結局、平均をとるような話になりますが、リスクの大きさを個人レベルか、あるいは集団で使うのかにより工夫する必要があります。
一方、ファイナンスの世界では、将来の事柄である損害額を確率変数と考え、平均とか分散とかでリスクを表現する方法が昔から使われています。よく使われているのは分散(標準偏差)ですが、最近では、与えられた信頼度のもとで資産がどれくらいの損失を出すかの推定値であるバリューアットリスクが実務でよく利用されています。さらに、理論的に矛盾を含まない尺度としてコヒーレントリスク測度と呼ばれるものが最近注目されていますが、現実問題への適用には研究途上です。
災害が起こりますと、再発の防止、社会的な要請、それから、賠償金問題が生じますので、リスクの原因を究明しなくてはなりません。実際に調べるとなると多くの費用と時間がかかります。また、原因にも直接原因と間接原因があり、いつも被害者への補償が絡んでいます。自然災害の原因でも、個人や組織の責任を問うという一種の魔女狩りみたいなものがあります。また、最後は真実と異なる結論で決着することもよくあります。科学的な調査は非常に重要ですが、本当の原因の究明はなかなか難しく、自然科学といえども真実を言えないことが多いようです。
次に、リスクの発生がどういうメカニズムで起り、予防をどのようにするかですが、まず、自然災害では予測は可能ですが、予防には随分とお金がかかります。事故や故障などの人為的リスクは、予防である程度減らせますが、確率現象で起こりますから、絶対に起こさないということは不可能です。ある程度の安全率、例えば99%は大丈夫というようにするしかありません。いかにして故障を避けるかは、信頼性工学とか安全性工学などの手法が有効です。1つは予防保全。定期点検をし、壊れる前にものを取り替える。もう1つは、並列冗長システムの採用です。1つが故障してももう1つがバックアップで動くようにしておくシステムです。それから、フールプルーフという間違い防止法。フェールセーフというのは故障しても安全側になるような方法です。
さて、ここで、お金のリスクの予測可能性を考えてみましょう。過去の株価の足跡をみて、現在の株価を予測できるかという問題は昔から論じられています。これに対する答えとして、実務家は絶対できるという。チャート分析など過去のパターンを見て売り買いを読み取ります。ところが経済学では、全然駄目と言います。市場は効率的で、しかも、情報がすぐに行き渡ることから、過去の株価から将来の株価は確実には予測ができないというわけです。最近の経営学では、企業の価値は貸借対照表で計上されている有形の資産からブランドとか組織のような無形資産にシフトしているため、財務諸表をいくら分析しても株価を説明できないと考えています。要するに株価の予測は難しいのです。天気予報は全員が明日は晴れと予測しても、別に明日の天気は変わりません。ところが株価は、株が上がると思ったら全員が株を買いますから株価がもっと上がることになり、株価の予測は天気予報より難しいのです。
では、お金のリスクをどのようにヘッジしたらいいか。マルコビッツが最初に考えたポートフォリオ理論があります。コンパの後、酔っ払って1人で歩くと溝に落ちますが、大勢が肩を組めば、誰も溝に落ちないという理論です。多くの資産を組み合わせれば、個別のリスクは相殺されるので、全体としてリスクを管理すべきだというわけです。特定の株価が下がっても、他の株価が上がると平均的には大丈夫だという話を数式で表したものです。要するに、マルコビッツは、平均が一定という条件のもとで分散を最小にするのには、各株式にどれだけ投資したらよいかという問題を解き、この業績でノーベル経済学賞をもらいました。それまでは良い個別銘柄を捜すかという話が主流を占め、ポートフォリオを作るという発想はなかったわけです。また、この結果を使って、シャープがCAPMと呼ばれる「個別銘柄の収益率が市場全体の収益率との間でどういう関係があるか」という均衡理論を作ったこともノーベル賞受賞の援軍になりました。
次に、いろんなリスクをどう処理するかですが、3つの要因が必要です。1つはリスクコントロール。リスクに関する情報を集め、分析し、リスクの回避や、予防、減らす方法を考えることです。たくさんのリスクのうちの幾つかを集めて管理するとか、非常に離れたリスクはバラバラに管理するなどの方法が考えられます。2番目はリスクの移転。お金を出さないといけませんが、自分のリスクを他人に移転する。保険が代表的ですが、最近はいろんな資産を証券化して、市場でリスクを移転する方法が保険会社を中心に進んでいます。派生商品の利用とか、ART(代替的リスク移転)などの方法です。3番目はリスクの保有。リスクを自分で持つことです。もちろん、すべてのリスクを持つのではなく、予め決めておいた閾値以下のリスクは無視する。以上の3つが基本として挙げられます。
ここで保険の原理について述べます。まず、保険は加入者が沢山いないと成り立ちませんから大数の法則です。次に給付反対給付の原理。被保険者が支払う保険料は、損害が発生したときに受け取るであろう保険金の期待値に等しいというものです。3番目は収支均等の原理といって、焼け太りのように保険で儲けてはいけない。あくまで総受取額が被害を被った額に等しくないと保険は成り立たない。保険は基本的にこの3つの原理で成り立っています。
過去の大災害で支払った保険金は、台風19号(1991年)で9,700億円。18号のときは5,700億円。阪神・淡路大震災は大きいように思われますが、資本ストックの損害総額7兆円に比べてわずか3,800億円です。支払われた保険金額は金融市場から見るとわずかな額です。例えば、アメリカの株式投資は19兆ドル位の資産が投資されており、相場の変動は一日あたり約1,400億ドルと巨額です。このように保険市場に比べて金融市場のリスクの方がはるかに大きく、取引額も膨大です。この大きな金融市場で、最近注目されている金融工学の役割ですが、要するに、金融のリスクを計量化して測定・管理すると同時に、要求を満たす金融商品を開発することです。その発端は1973年のブラック・ショールズがオプションの価格式を具体的に導いたことです。非常に複雑ですが、これが出発点です。オプションとは、原資産を満期日までに、ある定められた価格(行使価格)で売ったり、買ったりする権利のことで、プット・オプションは売る権利です。だから、火災保険はプット・オプションと考えられます。持家が火事になって価値が下がった場合、保険をかけている人は保険会社に買ってもらう、すなわち、売るわけですね。行使するか、行使しないかは保険に入っている人が選べるわけです。オプションの価格式は株価を水の中に浮かぶ花粉の運動(ブラウン運動)のように考えて、京都大学の伊藤清先生が考えた確率解析を駆使して導かれたもので、ノーベル賞の対象になりました。
オプションを出発点として、いろんな金利モデルとか、スワップ、スワップション、さらに、クレジットリスクなどのモデル化が最近盛んに行われておりますが、数学的には簡単には解けないので、モンテカルロ・シミュレーションを使って価格評価式が求められています。あと、いろんなリアルオプションと呼ばれるものにも応用されています。
先ほど述べました保険は、リスクを移転するための1つの手段だったのですが、キャプティブと呼ばれるものが保険の中で発達しています。企業の中に保険会社を作る自家保険です。他の企業のリスクまでは引き受けず、自社のリスクだけを引き受けます。アメリカでは1000社以上、日本では運輸業や石油関係などを中心に、100社程度採用しているそうです。もう1つはファイナイトという取引です。保険はあくまでも多数の参加者を前提としていますが、時間を長く取れば原理的には同じことになりますから、長期契約で一人の被保険者との契約が可能になります。また、レトロスペクティブ・レーティングがあります。普通、保険は一括して最初に保険料を支払って、事故が起こったら損害額が確定できて初めて保険金がもらえるのですが、多額の保険料を払い、実際にもらえるまでは非常に時間がかかります。その点を少し改良して、最初にある程度の暫定保険料を払い、損害が確定した時点で追加保険料を支払う方式で、保険料を節約するようなのも工夫されています。
もう1つ最近発達してきたのは、派生保険と呼ばれるもので、代替的リスク移転技術と呼ばれる資本市場を利用した新たな保険商品です。資本市場は大きいですから、少ない保険加入者数をリスクの証券化で増大しようというわけです。保険のリスクと関連する事象は、株価や債券価格との相関が低いことが多いわけですので、これを組み込めばポートフォリオのリスクを小さくできることが期待できます。派生保険の特徴としては、ひょっとしたら賠償額以上もらえるといいますか、実際の損害額ではなくて、客観的な指標に基づいて損害を決めようという発想です。例えば、天候デリバティブがあります。それは指標としては気温とか降雨量という客観的なものを採用します。また、最近注目されているキャットボンド(大災害ボンド)は、大地震などが起こったときのリスクを証券化したもので、地震のマグニチュードのような客観的指標が取られます。
日本でも最近いろいろなものが証券化されてきています。住宅ローンは銀行がお金を貸すと長期間で少しずつ戻ってくるわけで、その間、資金は無いが貸しているという担保はあるわけですから、その担保を基に証券を発行して、市場で投資家に売ることが可能なわけです。それが最近売り出されている住宅ローン担保証券。それから不動産とか債権を担保に証券を発行して、ということも考えられ、クレジット・デリバティブと呼ばれるものも増加し、いろんな資産を証券化してリスクの移転を図る方法が考えられています。貸付債権とか不動産、知的財産所有権などの資産から生み出されるキャッシュフローを裏づけとして証券を発行し、資金調達を行うのが資産の証券化と呼ばれるものです。日本では株式発行によるファイナンスと、社債のような債券発行以外に3つ目の資金調達の手段として最近注目されています。さらに、無形資産を証券化することも非常に盛んになってきています。アメリカでデビッド・ボウイというロック歌手が、将来売るはずの自分のアルバムやコンサート収入を担保に証券化し、5500万ドルの資金を調達しました。また、映画興行で得る収入を担保に証券を発行して資金調達し、そのお金で立派な映画を製作するとか、ゲームソフトの販売収入とか、医薬品関連の特許権に基づいてロイヤリティを証券化するなどが行われています。
最近、リスクガバナンスというのが盛んになってきています。これは「危険な活動の運営を可能にする政治的、法的、倫理的、科学的、技術的な要素の集合」で、単にリスクをコントロールするのではなく、リスクを伴う活動の正当性を吟味・検討することです。食品とか環境問題、都市計画といった分野で非常に盛んになってきています。リスク評価とリスク管理、および、リスクコミュニケーションの3つの要素で構成されます。リスクに関わるさまざまな人々が集り、双方向で、いろんなリスクを解決していこうという特色をもっています。
リスクをできるだけヘッジして、安心な社会を作るためには、まず背景になる市場は透明性があり公正な市場が発達していかなければいけません。また、投資対象が拡大して、余剰資金でリスクを取る楽しみを得る仕組みが必要ですが、その際、あくまで自己責任を徹底しておかないといけません。そのためにはリスクに対する教育が大切です。今までは、保険主導のリスク管理だったのですが、そこから脱却していく必要があります。特に日本人は昔からリスクをとるのを嫌がる人が多いと言われていますが、これからはある程度リスクを取らないと生活していけません。また、理論の整備と現実との乖離が大きく、理論は現実のごく一部を表現したものに過ぎないとよく言われますが、われわれ専門家から言わせますと理論は随分進んでいます。日本の市場が受けている種々の規制が取り除かれてくると、現実のほうがむしろ理論に近づいてくるのではないかと思っています。理論が使える可能性は大いにあります。
最後に、現在では、どこかで地震や津波のようなリスクが発生しますと、募金活動やNPOとなりますが、いつまでも続かないと思います。世界に開放された市場を作って、そこで投資家がいろんなことを考えて投資して、そのお金が間接的にリスクを受けた人に回っていくというような仕組みと支え合いが重要で、それによって安心な社会が築かれるのではないかと考えます。
*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。