第43回OFC講演会

演題

「ケンブリッジ・リアリストの挑戦 ~経済学方法論としての社会存在論~」

開催日時/場所

平成25年11月28日(木)午後6時半~ /大阪大学中之島センター3F 講義室301

講師

大阪大学大学院経済学研究科 准教授 葛城 政明 氏

葛城 政明 氏

プロフィール

  • 1988年同志社大学経済学部卒、1995年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。1995年大阪外国語大学講師、1999年助教授。1999年~2000年英ケンブリッジ大学客員研究員。2007年10月大学統合により現職。2008年からCSOG (Cambridge Social Ontology Group) のメンバー。
  • 専門は経済学の哲学と方法論、社会存在論(Social Ontology)。
  • 共訳にトニー・ローソン著『経済学と実在』日本評論社、2003年がある。

講義風景

  • 会場風景
  • 会場風景

講演要旨

 社会主義とマルクス経済学の凋落によって、経済学といえば近代経済学を意味するほどに、数学モデルと統計分析をその眼目とする主流派経済学が世界を席巻した。いまや、名のある大学で経済学を専攻すれば、ミクロとマクロの理論とその数学的運用能力の習得が必修となっている。しかしながら、例えば、フィナンシャル・タイムズや、エコノミストを読んで世界経済を理解するのに、そのようなモデル分析への習熟がどれほど寄与するのかは疑問である。それどころか、近代経済学の理論が非現実的なことへの問いかけは、その歴史と同じくらい古い。遭難をして缶詰があっても缶切りのない状況で、「今ここに缶切りがあると仮定しよう。これで食事ができる」と経済学者に述べさせる古典的ジョークはいうに及ばず、昨今、大学の世界ランキングで有名なタイムズ・ハイヤー・エデュケーションでも、「現実抜きでお願いします。我々は経済学者ですから」とかつて見出しを付け皮肉られていた。しかし、このような状況は経済学の素人が専門家を揶揄して述べているとは限らない。ノーベル賞を受賞した主流派経済学者自身の言説に限ってもその嘆きは深い。W. レオンチェフは、「厳密に述べられてはいるが的外れの理論的帰結」とか「現実の経済システムの構造と作用の体系的理解を目に見えるような形で前進させることができない」と述べ、M. フリードマンは晩年、「経済学は、現実の経済問題を取り扱うよりもむしろ数学の秘教的分野になりつつある」とインタビューに答えている。昨年亡くなったR. コースは、「今の経済学は…、現実世界で起きることとはほとんど関係がない」とまで述べている。2008年のリーマンショックの直後にノーベル賞を受賞したP. クルーグマンは、その翌年、LSEで行ったL. ロビンズ記念講義で、「過去30年間のマクロ経済学の仕事の大半は、よいもので役立たず、悪いものは有害だった」と述べた。はたして、近代経済学の席巻はその学問的勝利であったのだろうか。
 このような問題について、近代経済学の祖型を作りJ.M.ケインズを生み出した英国ケンブリッジの経済学者たちは、経済学の中心が英国からアメリカに移るにつれて、その学問立場をやがて異にし始めたのであったが、1989年、T. ローソンを中心としたグループがリアリストの経済学研究会を開始した。リアリストとは、日本語では現実主義者や実在論者と訳される。実在論とは中世スコラ哲学の重要な論点であり、普遍論争において唯名論と対立する立場として知られているものが原義である。唯名論は、「普遍」にたいする「個別」を出発点とする哲学であり、後に経験主義を生み出す思想的系譜にあるのであるが、この経験論が科学哲学として行き着いた一つの立場は道具主義と呼ばれる。理論は「道具」として予測の役に立てばよいというのが道具主義の主張である。これが実は近代経済学の方法論的立場なのであるが、予測の役に立つ限り、理論が現実的か否かは問題でないとする。一方、実在論の科学哲学は、世界の真の姿を記述することが理論の目的であるとし、非現実的な理論をよしとはしない。さて、それでは経済学の理論は非現実的であっても十分に予測の役に立っているかというと、よほど特殊な場合を除いて、自然科学のようにとても成功しているとは言い難い。これが冒頭に挙げた経済学の非現実性の嘆きの元となっているのである。
 ローソンが、このリアリスト研究会に、ケンブリッジの研究者のみならず、ノーベル賞受賞者を含む世界の著名な経済学者を招いて、10年近くにわたって議論を重ねた結論は、主流派経済学の問題はその方法論にあるということである。数学モデルの演繹を最も重要な理論的営みとすることは、全ての学問に無条件にあてはまる理想的で究極の姿ではない。たとえば、惑星を含めた天球の動きを捉えるために、精巧な時計仕掛けの模型を作ることは意義があろうが、ウイルスによる病気の発症を、ウイルスを発見してくることなしに、時計仕掛けの模型で再現できることはないであろう。どんな世界をもとらえうる確実で唯一の一般的な方法論が存在するわけではない。ある学問の方法論が適切かどうかは、その学問の対象の性質いかんなのである。しかし、主流派経済学は理論の対象としてどのようなものがどのように存在しているのかという存在論的な問いを道具主義であるがゆえに不問に付している。ローソンは経済学方法論の視点から、経済学の前提となる「社会の存在論」の探求を唱えたのである。この「社会の存在論」は、21世紀に入って、ヨーロッパでは法学や社会学などの他の社会科学の理論家の間でも関心が高まり、すでに数度の国際学会が開かれて、現在活発に議論が巻き起こっている。

*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。

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