1.はじめに
日本経済といえば「失われた○年」という常套句のように添えられて語られます。それほどに、長きに亘って日本経済は低迷が続いてきました。ここ数年は、アベノミクスで一時的に景気の浮揚感は確かに出ました。しかし、国民の率直な実感としては、景気の回復感を感じにくい状態が続いているというのが皆さんの率直な評価ではないかと思います。
そこで、今回は、①バブル崩壊以降、27年間の長期に亘り、なぜ回復感が出ないのか、②こうした日本経済に対する治療として、アベノミクスは的確なのか、③日本経済を元気にする真の処方箋は何なのか──という点をテーマにご説明を申し上げたいと思います。
2.日本経済の現状
日本経済は、バブルが崩壊した1990年以降、ずっと停滞が続いています。「失われた20年」ともいわれる「デフレ経済」です。企業の売上高推移、名目GDPの推移をみますと、90年以降、多少の山谷を伴いつつも、ほぼ横這い状態を続けています。主要国と比較すると、日本の停滞ぶりが更に鮮明になります。1990年から直近までの名目GDPの増え具合は、米・英が3倍強、独・仏が2倍強です(図1)。日本だけが殆ど増えていません。このままいけば、世界における日本の地盤沈下は確実です。
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3.日本経済停滞の原因
では、このような低迷がなぜ長く続いたのでしょうか。様々な原因が混じり合っているのですが、大きく捉えれば、経済の基本的活動である生産・所得・支出が上手く動いていないのが実態です。これら3活動について「こんな経済活動をしていては、経済が低迷するのも無理ないわ~」と思えるような原因が随所に見つかります。時間制約もありますので、本日は3つのうち「生産」面に焦点を当ててお話しします。
改めて言うまでもなく、経済の生産活動は、企業が支えています。企業はまさに「生産活動を通じて所得を生み続ける装置」です。この「装置」がうまく動けば所得は上がり、GDPも増加します。
ところが、日本は、この20年間強、この装置がうまく動いてきませんでした。典型例の一つは電機産業です。今や産業として見る影もありません。過去20年間で、電機産業のGDPは20兆円から12兆円と6割規模に縮んでしまいました(図表2)。
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なぜなのでしょうか?──最大の問題は、経営陣です。本来、企業というものは経営環境が時々刻々と変化していく中で、古くなった事業を畳み、新しい事業に経営資源を移し替える作業を継続しないといけません。いわゆる企業改革です。それこそが経営者としての一番の仕事です。しかし、電機産業を含む、わが国の主要な産業の社長たちは、そういう"変化"を嫌いました。日本企業は事業の入替を躊躇し、企業の新陳代謝を先送りしてきたのです。
電機産業で言えば、液晶テレビはその典型例です。液晶テレビ需要の伸びが期待できないならば、その事業は畳む必要があります。テレビ価格が継続的に下落することが自明で、赤字事業に陥り、回復が期待できなことが明々白々であるなら、その事業は畳む必要があります。しかし、電機各社の経営陣は、その必要性を認識しながら、一向に、テレビ事業を手放せないまま抱え続けるという経営判断をしてきました。
こういう経営を続けていては、生産が縮み、所得が稼げない(=GDPが減る)のは当然です。
更に付言すれば、これら電機産業には中小企業が連鎖するように取引しています。大企業が事業改革しなければ、中小企業も、当然、儲からない事業にお付き合いをしないといけません。結果的に、わが国の大企業から中小企業に至るまでが「儲からない生産活動」から抜け出せず、生産活動が根腐れ状態で回っているのです。背筋が凍る思いがします。
話をまとめれば、"ミクロの問題行動"が"日本経済全体のマクロ経済の不振"につながったとも言えます。この点について、日立製作所の川村隆・元社長は「日本経済が"失われた20年"に陥った最大の原因は"企業改革が遅れたためだ」と明言しています。
この点、欧米の電機産業はどうでしょうか。GE(ジェネラル・エレクトロニック)などは、日本の電機会社の経営と好対照です。儲からない事業を潔く捨て、儲かる事業を買い取り、たゆまぬ企業改革を継続しています。この結果、GEを含む様々な欧米企業の収益率は高く、日本企業は足元に及びません。
なぜ、日本企業は企業改革が出来ないのでしょうか?。日産自動車の志賀俊之副会長は、リスクを恐れる守りの経営、横並び主義、先送り主義等といったマインドが経営者にはびこり、企業改革を遅らせてきたと指摘しています。
4.アベノミクスをどう考えるか
ここまでは、日本経済の長期低迷の原因として、生産サイド(供給サイド)が"根腐れ"を起こしているという実態を説明しました。
これに対して、政府の出した処方箋は"アベノミクス"という経済政策でした。「3本の矢」というキャッチフレーズで、①大胆な金融緩和、②機動的な財政出動、③成長戦略という3本から成るものです。このうち③(成長戦略)については目ぼしい取り組みは見られませんでしたので、実際は①と②の2本柱が核となりました。以下では、3つの論点をもとに、アベノミクスを評価してみましょう。
4-1.論点①~処方箋は的確か?
一つ目の論点は「アベノミクスは的確な処方箋だったのか?」という点です。
既にみたように、日本経済低迷の原因の一つは、生産サイドの根腐れでした。この"根腐れ病"に対して、需要刺激策と言う"処方箋"はカチッと噛み合っているのかという点です。
生産サイドの根腐れには、本来、経営者の意識改革を促し、実際に企業改革をやらざるを得ない状態に追い込む環境作りこそが、"患部のど真ん中に突き刺さる処方箋"のはずです。アベノミクスという需要刺激策という処方箋は噛み合っていないのです。根治療法になっていないため、当然、その効果は一時的に終わる対症療法になります。確認のためにアベノミクスの効果を振り返ってみましょう。
アベノミクスで狙った効果の一つは「円安」でした。金融マーケットというのは、短期で値鞘を狙う投機家で満ち溢れています。政治家の発言を材料に、短期的な値鞘を狙う投機的取引が動き出して、大きく値が動くことが往々にしてあります。流れが変わったと思えば、中長期的な資本取引も追随します。アベノミクスで生じた円安はまさにそういう動きに支えられていた面が大きかったように思います。
安倍首相の「日銀法改正も視野に入れて、無制限な金融緩和をし、円高是正を図る」や「史上最大の経済政策を実施する」といった"意図的に円安を促す発言"はマーケットを動かすにはかなり迫力のある発言でした。2年で大幅な円安(2012年末:約80円➡2014年央:約120円)が起きたのはそういう面が大きかったように思います。
円安になれば、輸出企業の業績回復につながり、株価上昇にもつながります。株高は資産効果で消費を刺激します。株式保有者は、保有株の価格上昇で「資産が増えた」と感じ、高級品や嗜好品に触手を伸ばし始めるので、消費拡大に寄与するのです。
また、大規模な公共投資は、土木建設需要の押し上げとなります。景気回復につながるのは当然の動きと言えます。
しかし、糠喜びは出来ません。景気回復の持続性を保証する仕組みがないからです。考えてみれば、株価上昇なんぞはいつまでも続くわけではありません。となると、株価上昇がもたらす資産効果による消費拡大は、いずれは出尽くします。また、大規模な公共投資も、いつまでも続けられるわけがありません。財政健全化目標がある以上、いずれ玉切れになります。こう考えると、アベノミクスは根治療法的な経済政策ではなく、株高・円安・公共投資に頼った一時的な需要刺激策の域を出ないことがわかります。
4-2.論点②~円安は経済にプラスか?
二つ目の論点は、巷間言われている「円安は日本経済にプラスになる」という"常識"は、本当に正しいのかという点です。
結論から言えば、私は、常識とは真逆の「マイナス効果が大」と理解しています。これを確認するために、輸出入データで円安がもたらす効果を整理してみます。
まず、輸入動向を、アベノミクス導入前(2012年)と導入2年後(2014年)の2時点を比べてみます。輸入価格については、円安で2割高くなっています(表1参照)。また、輸入量は横這いです。これは予想通りの動きです。円安で海外輸入品が割高になったからといって、直ちに海外から原油や食料品の輸入を減らすというわけにはいきませんので、量は変わらないのです。結局、輸入額(輸入価格×輸入量)は、輸入価格上昇を反映して9.5兆円増えました。換言すれば、円安のために海外にわざわざ9.5兆円も余分にお金を払った(=所得流出)と言えます。所得流出の犠牲者は誰かというと、国民です。2015年初、小麦・バター・麺類等が一斉に大幅値上げとなったのはご存知と思います。円安は国民に、薄く広く、所得を目減りさせる効果としてマイナス影響を与えたと言えます。
一方、輸出はどうでしょう。アベノミクス導入前(2012年)と導入2年後(2014年)を比較すると、輸出額(=輸出量×輸出価格)は7.4兆円増えました。中身を、量と価格に分解して確認すると、まず輸出量はほぼ横這いです(表2参照)。この数字を見て「えっ、本当?」と思われるかもしれません。なぜなら、世間の常識と違うからです。世間の常識は「海外の国々にとって、円安になると日本商品が割安に買えるようになる➡日本の「輸出量」が増える➡日本の国内の生産が増える➡日本の景気が良くなり、雇用が増える」という理解だからです。経済学の教科書にもそう書いてあります。
では、世間の常識や教科書が間違っているのでしょうか?――仮に、世界中のどの国もが、高技術商品も作る一方、低技術の汎用品も作っている"何でも屋"の万能型経済国であるとします。このときは円安の効果は抜群です。円安が起これば、世界の国々が日本製品に手を伸ばしてきて、日本の輸出量が増えます。
しかし、今の世界経済の構造は上記のようになっていません。グローバルベースでモノ作りの"棲み分け構造"ができています。日本は高度な技術商品を作る一方、人件費の安い新興国が低技術の汎用品を作るなど、明確な国際分業体制が出来ています。こうした下では、円安が起きても「日本製品が安くなったから、日本製品を買う」というメカニズムは働きません。
例えば、日本の代表的な輸出製品の一つに、自動車のボディ製造に使う高張力鋼板(ハイテン)という高技術商品があります。日本など限られた国でしか作れない製品です。円安になろうが、円高になろうが、海外の需要家は否応なくハイテンを日本で買うしかないのです。つまり、為替レートがどう動こうが、海外勢は今まで通り、日本のモノを同じ量だけ買います。こういう経済構造の下で、円安が起きても、輸出量は変化しないのは当然といえます。
ただ、円安は、別のルートで輸出企業にプラス効果が働きます。輸出企業の収益増加効果です。通常、日本の輸出企業は輸出をドル建てで行っていますので、円安は円ベースの手取額増加という形で効いてきます。先ほど、アベノミクスの円安で、輸出額(=輸出量×輸出価格)は7.4兆円増えたと言いましたが、まさにこれが輸出企業の収益プラス効果です。
以上の話の一番大事なポイントは「円安で誰が得をしたのか?」という点です。答は「輸出企業だけが得をした」ということになります。
以上の話でご理解いただきたい点は、為替の変動には光と影の両面の効果があることです。円安の"光"は「輸出企業が集中的に得をする効果」であり、"影"は「国民が薄く広く損をする効果」であるという点です。
4-3.論点③~景気はいいのか、悪いのか?
三つ目の論点は「景気は全体としてみれば良いのか・悪いのか、一体どっちなんだ」という点です。政府・日銀・経済界の声は「景気は良い」「アベノミクスは効果あり」という見解です。輸出企業の収益が上がり、株価上昇等、いわば円安の"光"の部分を捉えるからです。一方、国民の殆どからは「景気が良いという実感はない」という声が聞こえてきます。円安による輸入品の値上がりが消費者に転嫁され、消費者の所得の目減りが起きているからです。しかし、こちらの声は、政府には届かず、水面下に埋もれています。結局、「景気は良いのか・悪いのか」と問われれば、先ほど述べたように、円安効果の光と影を相殺すれば、ネットで海外へ所得流出超となりますので損超です。それを、株価上昇と公共投資の景気プラス効果を埋め合わせ、トータルとすれば、景気は若干マシになった程度というのが、実態だと思います。
5.日本経済再生の向けての課題
最後に日本経済再生の向けての「課題」を考えます。今回は、経済を回す3つの活動のうち、生産にスポットを当て、企業改革の弱さが生産活動の根腐れになっているという話を申し上げました。支出・所得に関する根腐れは深入りしませんでしたが、ポイントを申し上げれば、所得創造活動の根腐れは、企業の収益率の低さ、所得格差の問題です。働けど働けど儲からず、経済を回すエネルギーが生まれてこないのです。
支出活動の根腐れは、将来不安の問題です。年金問題が政治的に解決されず先送り状態です。これでは、将来に備え、消費者は財布の紐を締めるだけです。支出活動が経済のブレーキになるのです。
これらの根腐れを抱えている日本経済にとって必要な真の処方箋は、国民一人一人がこの問題を直視し、根腐れを根治する取り組みこそが最優先事項です。生産の根腐れで言えば、企業経営者の意識改革です。
また、政府に頼る発想もそろそろ終わりにしないといけません。一時的な財政刺激策を積み重ねて、対症療法を続ける景気対策は、財政赤字を累積させていくだけですし、それどころかツケを将来に先送りする危険な手法であることを自覚することが出発点ではないでしょうか。
ケネディ元米大統領が就任演説で「国が国民に何をしてくれるのかを求めるのではなく、国民が、国に対して、何ができるのかを考えてほしい」という名言を残しています。
経済に王道はありません。急がば回れの精神で、構造改革を押し進めて、日本経済を根本から再生し、根腐れ部分を取り除いていく必要があるのだと思います。
以 上
*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。