皆さんが大阪大学経済学部在学中に習った経済学では、人々は「利己的」で「合理的」に判断する「経済人」(ホモエコノミカス)であり、主に金銭的なインセンティブに反応して最適な選択をすると教えられた。しかし、人は必ずしも利己的ではないし、合理的な判断を毎回行っているわけではないことは明らかであろう。むしろ、人々の日々の生活における選択や行動は様々な「社会規範」や「モラル」に規定されている。ここでいう社会規範やモラルは、社会を構成するメンバーの間で結ばれた暗黙的な合意をもとに形成されたルールと考える。
経済活動と社会規範やモラルの相関関係に関する研究は、経済学だけでなく、様々な学術分野で広がっているし、政策的にも注目されている。我々の研究プロジェクトではどのような経済制度が人々の社会規範やモラルを規定するかに着目し、社会形成に必要な社会規範やモラルを醸成する制度を考察する。昨今、企業による不正・違法行為が目立つ中、この研究は不正のない経済制度作りのヒントになることを期待する。
我々が採用した研究手法は経済実験的手法と言って、学内にあるコンピュータ室を実験ラボ室として使い、選ばれた被験者が各人に割り当てられたコンピュータを通じて様々選択を実際に行ってもらうことでデータを収集し、経済理論の正当性を検証する。今回は、個人で意思決定する場合と投票を通じた集団意思決定の場合とでモラルの程度が異なるのかを経済実験から検証する研究を紹介する。
我々の研究では、「『認定NPO法人 世界の子どもにワクチンを 日本委員会』を通じてワクチンを寄付する」ことをモラルある行動と解釈する。被験者はワクチンの寄付を拒否すれば金銭的報酬がもらえる選択肢と寄付する代わりに金銭的報酬を放棄する選択肢のうちどちらかを選択する。最初の個人意思決定実験では、初期保有1,000円を支払われた被験者が、ワクチン50本に対して支払っても良い最大の価格(最大支払額)を選択する。そしてコンピュータによって0から1000の範囲で無作為に選ばれた数字がワクチン50本の価格となり、その価格が自分の選んだ最大支払額よりも等しいか、または低ければその価格でワクチンを購入し、寄付をする。残りのお金は自分の報酬となる。反対に価格が最大支払額を上回れば、ワクチンの価格が高すぎることになり、購入せずに初期保有全額が自分の報酬となる。
2番目は投票ルールを取り入れた実験である。まず、被験者は無作為に2人1組に分けられる。相手が誰であるかは匿名とする。投票ルールは2種類用意し、1つ目は「一議決ルール」 と言って、少なくとも1人の最大支払額がコンピュータによって選ばれた価格よりも高ければ2人とも寄付をする。2つ目は「全員一致ルール」で、2人の最大支払額がコンピュータによって選ばれた価格よりも高くないと寄付はされないとする。
我々の実験によると、どちらの投票ルールでも被検者が選ぶ最大支払額は個人意思決定実験の時に選んだ最大支払額よりも低くなる結果となった。すなわち、2人で決定することでモラルが低下したと解釈できる。
このような結果になった理由としては、2人で決定することで寄付が実現できなくても罪の意識を共有し、軽減できることから、自身のモラルが低下したと考えられる。もう1つの理由としては、相手に対する利他性である。相手は多くの報酬が欲しいと予想し、寄付をしないように最大支払額を低く設定したと考えられる。
以上の実験結果を踏まえて、今後は高いモラルが保てるような市場取引制度や統治制度について更に考察する予定である。モラルなき行動は信頼を損なう。モラルの欠如を防ぎながら、競争が促進される経済社会を構築することは重要である。
このように経済学が学術的に扱う範囲は広がった。今後益々、心理学などの他の社会科学分野との学際的融合が進むと思われる。学際的分野の1つである行動経済学は過去20年間で大いに発展してきた。新たな経済学の研究分野領域と認められた証左として、2002年にダニエル・カーネマン教授とバーノン・スミス教授、そして2017年にはリチャード・セイラ―教授がノーベル経済学賞を受賞した。だからと言って、この潮流はこれまでの伝統的な経済学の否定ではないことに留意すべきである。行動経済学はあくまでの経済学の一分野として捉えるべきであろう。
*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。