日本は世界でも類を見ない人口問題を抱えている。総人口は2008年をピークに減少し始め、16年連続の自然減少となっている。総人口に占める65歳以上の人口(高齢者人口)の割合は2023年で29.1%と推計され世界最高の水準である。高齢者人口は総人口の減少に伴い2023年に初めて減少を迎えたが、75歳以上人口が2000万人を超え高齢者の中の高齢化が加速している。また、2022年には生まれた子供の数は政府が1899年に統計を取り始めて以来初めて80万人を切り過去最低を更新した。これは極めて深刻な状況で、特殊合計出生率が大きく改善したとしても、将来の出生数の増加につながらないことを意味する。
日本の人口問題は首都圏への一極集中という特徴も持ち合わせている。ヒト(若い世代・子育て世代)、モノ・カネ(企業)、情報の集中度が他の先進国と比べても極めて高い。東京圏の人口は約3700万人と世界最大の都市圏である。東京に本社を置く資本金10億円以上の企業数の割合は50%を超え、地方で育った企業が東京に本社を移す動きもいまだ健在である。ヒトの移動についても、2018年では10代から30代の若い世代を中心に毎年約13万人もの人が地方圏から東京圏に移住しており、コロナ後もその傾向は変わっていない。
こうした状況は何を意味するのか。第一に、若い世代が集まる東京では出生率が著しく低く(非都市部や西日本では出生率は高い)、日本全体の出生数の低下に寄与している可能性があること。第二に、東京の膨張・成長は日本全体において新たな産業の創出や生産性の向上につながっておらず、加えて地方経済は相対的・絶対的経済の衰退していること。むろん東京一極集中がこれらを引き起こしているかについては検証が必要であるが、「失われた30年」と言われるように、これまでの政策や方法では日本の人口問題や地方経済の問題が改善することはない。
私はこうした問題の本質について、また大学でできることついて、一つの作業仮説を得ている。日本の社会では、私たち自身がよりよく生きることとは何か、良い社会とは何か、について考える機会が極端に少ない。大学でそのような機会を少しでも多くもつことで、人の生き方や行動に変化が生まれ、長期的には現在の人口問題を緩和するような動きになるのではないか、という問題認識と作業仮説である。
もちろん、人口問題は中央集権型の政治・経済(これらを日本システムと呼ぶ)に根差した構造的問題である。しかし、それ以前に日本人のマインドを変えていく試みが必要だと思っている。具体的には日本においておよそ支配的なリニアな「人生の歩み方」の見方を変えることである。20歳前後まで教育を受け、その後就職、結婚、子育て、退職を経て余生を過ごす人生観である。そこでは、偏差値の高い学校に入り、大企業や官庁に勤める、ことに大きな価値が置かれてしまう。結果として若い世代が(悩むことはあっても深く考えることなく)学校や企業が集中する東京圏に移り住むことになってしまう。そして、集積と規模の経済によりその一極集中が強化されてきたのが現在の日本の姿ではないか。
日本は戦後、経済的に豊かな社会を作ることを目標とし、それに見合う経済や政治のシステムを経構築してきた。近年の日本社会はどうだろう。おそらく、私たちにはよりよい社会としての日本の未来像が見えていないし、それがゆえに社会変革を起こすことができていない。
私にとっての日本の未来像は、人々が多様な生き方をし、多様な地域が存続している社会像である。日本の国土は小さいが南北に延びかつ山間部が多く、きわめて多様な地域社会・文化が詰まっている。魅力的な伝統行事や美味しい食べ物はまさにその産物であり、将来に残すべき貴重な資源である。また、地域が多様であるということは、地域の課題やニーズも多様であり、それに対応する形で新しい産業やイノベーションが生まれ日本経済の支えとなる。(実際に、今のところではあるが東京も主要な地方都市も起業率に大きな差があるわけではない。)
一大学人として日本システムそのものを変えることはできない。しかし、研究や教育を通じて周りの人間のリニアな「人生に対する価値観」を変えることができる。私の研究テーマの一つは地域資源の経済学的評価であるが、これまで教育と研究の一環で学生や同僚ととも日本やアジアの農山村を幾度となく訪問してきた。農村社会ではコミュニティの中で人々が安全に快適に暮らしたり、災難を乗り越えたりするために必要な知恵や慣習がたくさん埋まっている。都市の基準に照らすと非効率で不合理に感じるものも多いが、時間をかけて理解する魅力的で理にかなうものも多い。日本の多様な地域社会には私たちが理解し得ていないもの、将来に残すべきものがたくさん残されている。農山村を訪問した学生たちは地域が持っている潜在的な価値に気づき豊かさや生き方について再考することになる。そして実際に、ゆかりのないような土地で事業を起こしたり就職したりする学生が増えている。
加えて、ICTやAIの進歩や働き方・住まい方についての変化が追い風となる。「人生100年」の時代、その間に変化する技術進歩や価値観に私たちは対応していかなければならない。子育て中は自然の豊かなところに住みリモートで仕事をする、10年働いた後に別の場所で学びなおしをする、といった生き方がいずれ主流になるのではないか。その時には東京圏への集中も緩和され、交流人口の増加により多様な地域経済が成り立っている。そんな社会が実現できればよいと思う。
私は学生に「不良」になることを進めている。これは素行の悪い人間になることではなく既成概念や常識を取り払って考える・行動するということ、また同じ不良を仲間にするということである。かつての私の学生の多くは現在も日本社会や地域社会について語り合う仲間である。社会経済について話し合いビジョンを共有することができる仲間、継続的に学び続けることができる仲間づくりをこれからも続けていきたい。
調査地の一つである奈良県十津川村山天集落の風景。何世代にもわたって自給自足に近い生活を営み、多くの自然災害を乗り越えてきた集落の人たちからは学ぶことが多い。