IT革命と雇用創出および賃金格差

大阪大学社会経済研究所
大竹文雄

(『大阪労働』2000, 初秋号掲載)

1 はじめに

IT革命が経済・社会に大きな影響を与えることが多くの人によって指摘されている。IT革命により情報関連の投資が増えることにより、経済が活性化され、生産効率が高まる。企業活動については、取引や経営がスピード化される、顧客重視の経営が行われやすくなる、企業組織のフラット化によって新たな雇用創出を生み出されることが期待されている。消費生活についても、情報がより入手しやすくなり、インターネットによるオンライン直販がますます増える、といった指摘である。同時に、IT革命の負の側面として、デジタル・デバイドといわれるITへの利用可能性がもたらす情報格差や所得格差の拡大、産業構造や職種構造の大幅な変化にともなう雇用のミスマッチといったものがあげられている。

本稿では、IT革命が雇用や賃金格差にどのような影響をあたえるか、という点について、1999年の大阪府の調査と最近の経済学の分析をもとに議論する。第2節で、大阪府産業労働政策推進会議のもとで、筆者を中心とする大阪大学のグループが行った調査をもとに、大阪府における情報・通信産業の労働需要の特徴を紹介する。第3節において、IT革命が労働需要や賃金格差に与える影響に関して、経済学的分析を紹介した上で、大阪府調査を用いた分析結果について述べる。第4節で、結論と雇用対策に関する課題を述べる。

2 大阪府調査からみたIT産業と雇用への影響

1999年に大阪府産業労働政策推進会議で行った「今後成長が期待される産業分野における人材の確保・育成に関する調査」(以下大阪府調査)によれば、今後3年間で、5%以上雇用が増加すると答えた事業所は、情報・通信産業で最も多くなっている。その意味で、雇用創出が期待される産業であることは間違いない。しかしながら、情報・通信産業では、採用予定の年齢層は若年層に偏っている。正社員の中途採用に関して年齢制限を行っている事業所の比率は、約60%もあり、その年齢制限の平均値は35.2歳という若さである。情報通信産業では、74%の事業所が45歳以上の転職者の採用は困難であると答えている。その具体的な理由として、知識・技能の修得が困難である、という点を指摘した事業所は72%もある。情報・通信産業における若年者への労働需要の偏りが理解できる。

転職前後の所得の変化にもミスマッチの影響が示されている。大阪府調査では、教育・文化、環境・エネルギー、情報・通信、生活・住宅、福祉・医療の各産業分野の事業所に転職してきた従業員に、転職前後の会社における様々な雇用環境を調査している。これらの産業に転職してきた従業員の年収は、平均では転職によって、469万円から434万円に、7.5%減少している。年齢別にみると、45歳未満では、転職によって年収は平均では増加している。しかし、45歳以上になると転職により年収が減少している。例えば、45歳以上60歳未満では、735万円から598万円に、約20%も低下しているのである。

このように、1999年の大阪府調査によっても、情報・通信産業は、雇用創出の中心的な産業となることははっきりしているが、その労働需要は技能をもった若年者に大きく偏っていること、中高年層に対する労働需要は小さいことが示されている。すなわち、IT革命が全体的な雇用創出の原動力となる可能性は高いが、労働の需要と供給のミスマッチを拡大する可能性が高いことがわかる。

3 IT革命と雇用・賃金格差

1980年代から90年代にかけて、アメリカ、イギリス、カナダといった国々では、賃金格差が急激に拡大した。賃金格差拡大の要因として多くの経済学者が考えているものの一つに、IT革命が熟練労働者への需要を急激に増やすような技術進歩として機能したという考え方がある。例えば、Krueger(1993)は、仕事でパソコンを使っている人の賃金はそうでない人よりも約15%高くなるという実証結果を示した。しかしながら、この分析には、鉛筆を使う人もパソコンを使う人と同様に賃金が高まっているということを示した実証分析による批判がある。

どうも、パソコンが賃金格差拡大の真の原因というよりも急激な技術革新に適応可能な人たちの希少価値が高まって賃金格差が拡大しているというのが本当の原因でないかと考えられている。つまり、パソコンによって代理されている技術革新に適応できる能力が重要なのである。

もちろん、このような技術革新は、程度の差はあれ世界共通のものである。そうであるならば、日本においても賃金格差拡大要因となっている可能性がある。実際、日本において80年代から90年代にかけて、賃金格差が拡大したことはよく知られている。

しかしながら、日本における賃金格差拡大がIT革命による影響かどうかについては、見解は一致していない。櫻井(2000)が示すように、パソコン投資が多い産業で、ホワイトカラーの需要が多くなっているという技術革新が労働需要に対して与えた影響は、日本でも存在するようである。しかし、そのような需要ショックが賃金格差に反映されているかというと、賃金データを見る限り難しい。櫻井(2000)は、同時に供給が増加した可能性と、日本的な賃金システムでは格差が反映されにくい可能性を指摘している。

実は、日本でみられる賃金格差拡大の多くの部分は、人口の高齢化による部分が大きい。図1に、年齢内の賃金格差を、上位10%目の賃金と下位10%目の賃金の対数階差で図示している。日本では同一年齢内の賃金格差は、年齢階層高いほど大きい。人口高齢化は、賃金格差が大きいグループの比重が大きくなることを意味するのである。したがって、年齢内の賃金格差はそれほど高まっていなくとも、高齢化により労働者全体の賃金格差が高まっているのである。



 しかし、より詳しくみると、日本でもITと賃金格差の関連を認めることができる。一つには、学歴間賃金格差の動きである。アメリカにおいては、80年代から90年代に大卒と高卒の賃金格差が急拡大した。この点は、技術革新により大卒の需要が増加したという仮説と対応している。日本では、男性労働者全体で、大卒と高卒の格差を比べると80年代以降、ほとんど一定であった(図2参照)。ところが、20歳代の若年労働者に限って高卒と大卒の賃金格差を調べると、80年代後半に拡大したことが分かる。一方で、40以上の中高年では、学歴格差は縮小してきている。

中高年における学歴間格差の縮小は、中高年齢層における高学歴化の影響が、高学歴層に対する需要拡大の影響を上回ったためである。一方、大学進学率が安定している若年層については、技術革新に伴う高学歴者への需要拡大が、学歴間格差を拡大させている。

日本で賃金格差拡大が顕著に現れてこなかった理由は、高学歴者の増加という供給要因が大きい。

パソコンが賃金格差に与える影響に関する興味深い研究が、最近行われた。清水・松浦(2000)は、家と職場の両方でパソコンを使用する労働者はそうでない労働者よりも、約30%賃金が高くなっているという研究結果を示している。彼らの結果はまた、学歴が高いとパソコンを家と職場の両方で使うという可能性を高めるが、賃金には直接的な影響を全く与えないことを示している。もちろん、平均的には学歴が高い人は、より賃金が高い。しかし、学歴が高いことそれ自身が賃金を高めているのではなく、学歴が高いことはパソコンを使用するという可能性を高め、そのような技術革新に耐えうる能力が賃金を高めているのである。つまり、学歴が高くても技術革新に対応できない人は、賃金が必ずしも高くならないのである。実際、清水(1999)は、同一学歴のなかでも、パソコンを所有している人の方がパソコンを所有していない人よりも年収が高いことをあきらかにしている。このように清水・松浦(2000)の研究も、パソコンそのものが格差拡大の原因ではなく、IT革命に対応できる能力をもっていることが格差をもたらしていることを示しているのである。

小原美紀政策研究大学院助教授と筆者は、大阪府調査を用いて転職前後における賃金の変化を、パソコンの使用の変化で説明するという実証研究を行った。この推定方法の利点は、パソコンの使用状況と観察不可能な能力で賃金にプラスの影響を与えるものとに相関がある場合でも、正しくパソコンの影響を計測することができることである。実際、大阪府調査でもパソコンの職場での使用と賃金の間には、正の相関がみられる。しかし、これにはパソコンの純粋な影響以外に技術革新に対応できる能力の影響が含まれているのである。

現在までの分析結果によれば、パソコンの使用そのものが、賃金に影響を与えるのは、大卒35歳未満の男性に限られている。それ以外の学歴、年齢層におけるパソコンを通じた賃金格差と見える部分は、技術変化に適応できる能力をパソコンが代理した結果生じていることになる。前の職場ではパソコンを使っていなかったが、あらたな職場でパソコンを使うようになって、賃金が高まったというのは、大卒35歳未満の男性だけに見られる現象である。

もちろん、小原助教授と筆者の研究においても清水(1999)の研究においても、学歴、年齢、性別、企業規模、勤続年数などを考慮した上で、パソコンを使用している人の方が賃金は高いというアメリカにおいてKruegerが観察した特徴は共通に見られる。

しかし、当然、優秀で新しい技術に対応できる人がパソコンを使って仕事をしているという関係も存在するのである。デジタル・デバイドの議論は、パソコン等のITに対する利用可能性そのものが賃金格差を高めるという議論であるから、両者は似ているが異なるのである。

小原助教授と筆者の研究結果が意味するのは、大卒35歳未満の男性を除いては、パソコンを仕事で使っている事自体は、賃金格差の拡大要因にならないということである。重要なのは、パソコンを使っている人の多くが、新しい技術に対応できる能力を身につけていることである。仮に、パソコンを使っていなかったとしても、それ以外の技術革新に素早く対応できる能力をもっている人は、そうでない人よりも、高い賃金を得ているのである。

 ただし、35歳未満の大卒男性については、技術革新についていけるような能力をもっているだけではなく、実際にパソコンを使う仕事についていることが賃金を高めている。このことは、現在の情報処理技術者に対する需要が逼迫している状況を反映していると考えられる。

 

4 むすび

IT革命によって、必要とされる労働の質は、単なるパソコンの操作能力ではない。むしろ、新しい技術革新に耐えうるような柔軟な適応力である。パソコンを利用するようになることそのものがより賃金を高めることが賃金格差の原因であれば、それに対する政策的対応は比較的簡単である。パソコンの使用に関する職業訓練を行ったり、学校教育を推進することで解決が可能である。また、IT技術の習得がより高い賃金をもたらすのであれば、その賃金格差がモチベーションとなってIT技術の習得に熱心になるであろう。しかし、経済学で明らかにされてきたことは、単なるIT技術ではなく、IT革命に象徴される急激な技術的・経済環境的変化に対して対応できる能力こそ、現在求められている能力であり、それが賃金格差を拡大しているのである。

大阪府調査では、事業所も従業員も、雇用創出・労働移動の円滑化に必要な施策として、労働者の自主的な職業能力に対する支援をあげるものが多かった。そのような自発的な職業能力の向上意欲こそ労働者としての価値を高めるのである。パソコンの操作ができるようになっている人が高い賃金を獲得するとしても、それはパソコンが原因ではなく、能力開発にたいする意欲の結果である。今後の教育や能力開発は、パソコンの操作だけでなく急激な技術変化に耐えられるような柔軟性を高めることが重要である。


文献

1.Kruger,Alan B. (1993)"How Computers Have Changed the Wage Structure: Evidence from Microdata, 1984-1989," The Quarterly Journal of Economics, Vol.108, 34-60.

2. 櫻井宏二郎(2000)「偏向的技術進歩と雇用」、吉川洋・大瀧雅之編『循環と成長のマクロ経済学』、東京大学出版会

3. 清水方子(1999)「情報化と労働所得、学校教育の関係について:アンケート結果の集計」、『郵政研究所月報』199912月号、66-83

4. 清水方子・松浦克己(2000)「努力は報われるか:パソコンと賃金、教育の関係」、『社会科学研究』、第51巻、第2号、115-136