不足する公的分野で増員
大阪大学社会経済研究所 大竹文雄
(『日経新聞/経済教室』2001年8月22日掲載)
不良債権処理に積極的雇用政策
小泉純一郎政権が打ち出した不良債権の最終処理に伴う雇用への影響については、内閣府の予測に加えて民間のシンクタンクなどの推計がある。内閣府は失職者の増加が38.8万人から60.2万人、失業者の増加が12.6万人から18.5万人と予測している。民間のシンクタンクの推計には、失職者の増加が100万人としているものもある。
もちろん、内閣府の予測は報告書に明記されているように小さめの数字である。しかし、失職者と失業者を明確に分けている点は重要である。不良債権処理や構造改革によって多数の人が失職することは間違いない。
ただ、失職そのものを痛みと考えるべきではない。本当に深刻な失業者に対し適切な援助をすること、失業期間をできるだけ短くすること、転職が可能であるような環境を積極的に整備することが必要である。
自殺率や犯罪率の動きをみても、日本は失業率の上昇に対して、社会的に脆弱な側面をもっている。警察、税務、教育など必要な公的サービス分野での雇用を拡大するなどして、働く機会があるという希望を持てる状態にするべきである。
不況時に就職する若者や運悪くリストラされた人たちだけに痛みを集中させることになると希望がなくなり社会の不安感は大きくなる。
公共事業をカットし、不良債権処理で多くの企業が倒産するということになれば、失業率の上昇はさけられない。マスメディアは、ホワイトカラーの問題に焦点をあてがちであるが、他産業への移動が困難なブルーカラー労働者、中高年労働者の失業問題は深刻になる。
それでも、人間は機械と異なって学習能力があるため、新しい仕事にチャレンジすることをサポートすることで仕事をみつけることができる。
失業率が一時的にどの程度上がるかということも重要であるが、それよりも失業期間がどの程度になるかということの方がもっと重要である。
政策は失業期間を短くすること、失業率が一度上昇しても素早く低下するような環境を作ることに専念すべきである。
具体的には、職業紹介の規制緩和、中高年失職者に対するカウンセリングの充実、職業訓練の充実、派遣労働の規制緩和、公的サービス部門における雇用創出といったことが課題といえるだろう。
政府の経済財政諮問会議は「不良債権処理によって10万−20万人の失業が出る可能性がある」と試算する一方で、「サービス分野で新たに530万人の雇用を創出する」と強調している。しかし、サービス分野で短期間にこの規模の雇用を創出できる可能性は小さい。
仮に、それだけの雇用が自然に創出されるのであれば、不慮債権処理と構造改革は大幅な人手不足を生み出すことになってしまう。
既存産業の賃金水準とサービス産業の賃金水準を比べると、前者の方が高い。低い賃金の職場へ簡単に移動できないことを考えると、短期間に雇用が創出できるとは予想しにくい。政府が規制改革を積極的に改革する必要がある。
同時に、事前監督よりも事後的監督のシステムをあらゆる分野で整備することがサービス業の発展には欠かせない。抜き打ち検査、情報開示についての法的な整備が必要である。
見直し不可欠な公務員一律削減
現在でも不足している公的サービスは多い。金融監督、医療、福祉、環境、教育、警察、徴税といった公的サービスがその例である。
不良債権や金融不安を解決するためには、金融監督に関わる公務員の増員は不可欠である。株式市場の活性化のためには証券取引等監視委員会の大幅増員によってインサイダー取引を防止し投資家の信頼感を高めることが必要である。
少子化であるにも関わらず小学校で40人の学級が存在するのは先進国として異常である。少子化であるから教員数を減らすというのではなく、子供が減っているのは、教育の質を高める絶好の機会であると考えるべきであろう。
学力低下が深刻な問題であるならば、教員を増やせばいい。深刻な犯罪や暴走族が問題であれば、警察官を増やせばいい。教員、警察官を増やすことは、就職機会を増やすことと並んで少年犯罪を減らすのに有効である。
また、駐車違反の取り締まりを民間委託して、駐車違反取り締まり産業を育成することは雇用創出とともに都市の交通渋滞の解消をもたらす。税務署員の増員は、増税なしで税収増をもたらすことになる。休日・深夜の救急医療体制は、先進国とは思えない貧弱な状況であり、体制の充実が望まれる。
公的部門の中で過剰な職員が配置されている分野があるのも確かである。しかし、それ以上に必要な公的サービスの質・量の水準は低い。
「民間がリストラをしている時期に公務員の採用を増やすのは問題である。」という反論があるだろう。しかし、金融監督、教育、徴税などの公的サービスは、民間の市場が機能するための不可欠な社会的基盤と考えるべきである。市場は自然に発達するものではない。整備されたルールと監督が必要である。経済が新しい公的サービスをより必要としている時代に十分な人的資源が公的部門に配置されていないことが経済停滞の一因でもある。
政府部門内での利害対立を顕在化させないために進めてきた公務員定数の一律削減は見直すべきである。無駄な公共事業を行う資金を必要な公的サービスに振り替えることで多数の雇用を確保できる。公的サービスの充実により、国民は税金が正しく使われていることを実感できる。この結果、租税の負担感も小さくなる。
転職者増えても失業増は回避を
公共投資を削減してそのような公的サービスでの雇用を増やすことは構造改革と矛盾しない。小さな政府の中身が問題である。現在、政府規模そのものでいえば日本は先進国の中でもっとも小さな政府を実現している。
それにも関わらずより小さな政府にしたい、という世論があるのは、政府からの便益を受けている層があまりにも偏っていることが原因である。
同じ規模の政府を維持した上で、政府によるサービスの質を向上することは十分に可能である。逆にサービスを向上できるならば、国民は必ずしも小さな政府にこだわらない。現在のような政府サービスであれば、もっと小さい方がいいということであって、政府はどんな時でも小さい方がいいわけではない。
政府部門での直接雇用が今までは雇用対策として有効でなかったのは、短期的な仕事を中心にしていたためである。必要性が認識されていながら不確実性が高いため十分育っていない新しいサービスを公的な資金で立ち上げることを考えなくてはならない。
その際に、短期でなく長期の職として採用し、産業として育てば完全に民営化するというような公主導の雇用創出を考える必要がある。公務員として直接雇用だけではなく、任期付きの採用や非営利組織(NPO)による雇用創出が有効であろう。
「不良債権処理のためには失業が増えても仕方がない」という議論は、「そんなにまでして不良債権処理をする必要があるのか」という反論に十分に対抗できない。
むしろ、積極的雇用政策と転職コストの引き下げという組み合わせによって、不良債権処理が転職者を増やしても失業者は増やさないという状況をつくるべきである。
不良債権処理の問題は、バブル崩壊による経済全体の富の減少を国民の間でどのように負担すべきかという問題につきる。一部の失業者に負担させるのか、国民全体で負担するのか、負担の具体的な方法は何がいいのか。それがもっとも明確に現れるのが雇用問題である。希望と安心を感じられる政策が必要である。