第16回OFC講演会

演題

「ソーシャル・キャピタルとは何か ―人間関係と地域力を考える―」

開催日時/場所

平成16年7月28日(水)午後6時半~ / 梅田センタービル

講師

大阪大学大学院国際公共政策研究科 教授 山内 直人 氏

山内 直人 氏

プロフィール

  • 1978年大阪大学経済学部卒、M. Sc.(英London School of Economics)。博士(大阪大学)。
  • 経済企画庁エコノミストとして経済白書の執筆など日本経済の実証分析に従事した後、1992年に阪大へ。経済学部助教授を経て、大学院国際公共政策研究科教授。この間、米イェール大学客員フェローなどを歴任。専門分野は公共経済学。特に、税制、医療・福祉、環境、社会資本、NPO・NGO、ボランティア、国際開発援助などの実証研究を手がける。
  • 著書に、『ノンプロフィッ ト・エコノミー』(日本評論社)、『NPO最前線』(訳、岩波)、『NPOデータ ブック』(有斐閣)、『NPO入門』(日経文庫)、『実証分析・日本の経済構造』(同文舘、共著)、『フィランソロピーの社会経済学』(東洋経済新報社、共著)、『製造物責任の経済学』(三嶺書房、共著)、『日本型市場システムの解明』(有斐閣、共著)、"The Economic Effects of Aging in the UnitedStates and Japan (University of Chicago Press、共著)など多数。
  • HP:http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~yamauchi/

会場風景

  • 会場風景
  • 会場風景

講演要旨

1. 概念の整理
 ソーシャル・キャピタルとは、日本語に直訳しますと「社会資本」、つまり道路や港といったハードのインフラを意味してしまうのですが、今日お話しするのは、人間関係と地域力ということに関連して、良好な人間関係が作り出すソフト面の、目に見えない、インフラストラクチャーのことです。

 ソーシャル・キャピタルという用語は、古くは1910年代に「良好な人間関係を形成するもの」という趣旨で使い始めたことが分かっていますが、この言葉を流行らせたのは、ハーバード大の政治学者、ロバート・パットナムという研究者です。彼は1993年に『Making Democracy Work』という本で、北と南のイタリア人で、政治への関心度、住民同士の絆の強さ、信頼関係の強さがどのくらい違うかなどを丁寧に調べた結果、イタリアにおいて南北格差が大きいのは、ソーシャル・キャピタルの蓄積の違いによると指摘しました。また2000年には『Bowling Alone』という本で、アメリカ社会におけるコミュニティーの崩壊とソーシャル・キャピタルの衰退を指摘しています。このタイトルを日本語に訳すと「一人でボーリングをする」で、一人で黙々とボーリングをする人たちの姿にソーシャル・キャピタルの崩壊が象徴されているというのです。この本はベストセラーになり、同時にアカデミックな世界でも注目されています。

 ソーシャル・キャピタルの定義ですが、これはあまり明確ではありません。通常、経済学では物理的な資本についてキャピタルという概念を使ってきました。これが1970年代あたりから、例えばゲーリーペッカーという人が物理的なキャピタルの概念を人的資本、つまり教育投資が人間に対して行われて、それが資産として、つまりキャピタルとして人間に対価されるべきという意味でヒューマン・キャピタルという言葉を使い始めました。物理的なキャピタルが、フィジカル・キャピタルで、それを人間に延長させたものがヒューマン・キャピタル、それをさらに敷衍してソーシャル・キャピタルという言葉を使うようになったのではないかと言われています。しかし、ヒューマン・キャピタルとソーシャル・キャピタルの違いというのは、必ずしも判然としない部分もあり、今でも論争の残っているところです。

 ケネス・アローやロバート・ソローなど経済学者の大御所たちは、ソーシャル・キャピタルという言葉が使われるようになったことに対して非常に批判的です。経済学者はキャピタルという言葉を非常に厳密な意味で使っているので、他の専門分野の人に安易に使われるのは迷惑だというわけです。「キャピタル」を安易に「資本」と訳すことには、慎重であるべきだと私は考えています。

 また、様々な分野の人がそれぞれ異なる文脈でソーシャル・キャピタルという言葉を使っています。教育学の分野ではコールマンなどがあげられます。古くは1916年にハニファンという人が「善意・仲間意識・社会的交流」という意味でソーシャル・キャピタルを使っています。最近では国際機関や各国の政府でもソーシャル・キャピタルについて熱心に研究するようになっていて、OECDでは「規範・価値・理解を伴ったネットワーク」という意味で政策研究を始めていますし、世界銀行では「制度・関係・規範」というような意味でソーシャル・キャピタルを使っています。

 ソーシャル・キャピタルの構成要素としては主に次の3つが重要だと考えられます。一つは信頼関係で、コミュニティーを構成するメンバー同士がどれくらいお互いを信頼しあっているかどうか(厚い信頼と薄い信頼)ということです。二つ目は規範です。ソーシャル・キャピタルの構成要素としては、特に「互酬性の規範」というものが非常に重要だと考えられています。日本の伝統社会には互酬の慣行が深く根付いており、「お互いさま」という言葉には、直接的な見返りを求めない他者への奉仕の気持ちと、将来自分が困難に陥った時に他者が助けてくれるかもしれないという期待が込められていると思います。昔の日本ですと、結(ゆい)や講(こう)など、相互扶助のシステムが発達していましたし、鎌倉時代から江戸時代にかけては、協働で積み立てた資金から融資を必要とする講員に貸し付ける「頼母子講(たのもしこう)」と呼ばれる小口金融制度が普及していました。あるいはお葬式を出すときには、近隣のみんなが助け合うなど、田舎に行けば今でもごく当たり前のようにそういう助け合いが行われています。三つ目はネットワークです。これは人間同士の関係のことで、垂直的なネットワークと水平的なネットワークに区分できます。ソーシャル・キャピタルにとって重要なのは、会社組織のような階層構造の垂直的ネットワークよりも、地域コミュニティーや市民団体のような水平的ネットワークだと考えられています。

 また、ソーシャル・キャピタルの重要な分類基準としては「結束型」と「橋渡型」というのがあります。結束(Bonding)型とは同質的なグループの中での仲間内の結束を表すものです。橋渡(Bridging)型は、異質なグループの間をつなぐブリッジの役割を果たすようなソーシャル・キャピタルだといわれています。結束型は例えば同じ地域内、町内会や自治会などの関係、あるいは一つの企業の中での関係などをさしますが、行き過ぎると排他的になってしまう可能性があります。非常に極端なケースでいうと、ある種の非常に過激な愛国主義者の集まり、古くはナチなどがあげられます。これには程度の問題があると思います。一方、橋渡型の例は市民権運動や環境団体などで、NPO市民団体の活動はこの橋渡型のソーシャル・キャピタルを強める役割を果たしているのではないかと考えられています。



2.測定手法
 ソーシャル・キャピタルとはかなり抽象的な概念ですが、科学的な分析をするためにはある程度定量化しなければいけないということで、様々な指標が開発されています。たとえば、パットナムはアメリカの50州のデータを使って、人口百万人あたりの市民団体の数、ボランティアへの参加度合いなど14の指標を合成することによって、ソーシャル・キャピタルインデックスを作りました。彼がイタリアについて研究した1993年の本では、人々の公的生活、例えば投票行動についての指標、市民活動・政治活動への参加に関する指標も用いています。またイギリスでは政府の統計局が中心になって、調査のマトリックスを作っています。ソーシャル・キャピタルのインデックスをイギリス全土で測定し、どの地域でソーシャル・キャピタルが蓄積、あるいは不足しているかを研究しています。日本では、内閣府の調査で都道府県別のソーシャル・キャピタルのインデックスを出しています。この内閣府の調査によるソーシャル・キャピタル・ランキングをみてみると、1位は島根県、2位は鳥取県で、宮崎、山梨などどちらかというと三大都市圏ではない都道府県が続き、ソーシャル・キャピタル指数は地方圏のほうが高いという傾向が見られます。概ね大都市圏に所在する都道府県はソーシャル・キャピタル指数が低く、東京都は下から2番目の46位、大阪府は下から3番目です。神奈川や愛知、千葉、埼玉といったところが下位のほうに出てくるわけです。このランキングはどういう指標をどういうウェートで採用するかによって変わりますので、絶対的なものだとはいえませんが、試みに計算してみるとこういう結果が得られました。



3.日本の現状
 内閣府による全国的なアンケート調査の結果わかってきたのは、地域の人のつながりや価値観を共有する仲間、あるいは地域や社会への貢献、地域への愛着心といったソーシャル・キャピタルが市民活動の参加を通じて形成されるということです。

 ソーシャル・キャピタルと市民活動・ボランティア活動の関係を見たときに、双方向の好循環の関係があるのではないかというのが、一つの結論です。ソーシャル・キャピタルが豊かな地域というのは、それ自体が市民活動への参加を促進する可能性があるということです。一方で、市民活動の活性化を通じてソーシャル・キャピタルが培養される、蓄積される可能性もあるのではないでしょうか。

 結束(Bonding)型である日本の伝統的な地縁組織(町内会、自治会、消防団、婦人会など)は、特に都市部において組織力が弱まっています。それを新しいタイプの橋渡(Bridging)型であるNPOや市民活動が補ったり、あるいは地縁組織がNPOの法人格を取得して衣替えしたりすることも考えられます。

 NHKの全国県民意識調査(1978年~1996年)をみてみますと、大都市部のほうでソーシャル・キャピタルの指数が低いということが分かります。また全国のほとんどの地域で隣近所とのつきあい、親戚とのつきあいが減少し、隣近所に対する信頼も過半数の地域で減少しています。逆に、職場や仕事上でつきあう人に対する信頼の度合いは、全国的に増加の傾向がみられます。それから全国の3分の2くらいの地域で地元の行事や祭りへの参加意向が減少しています。ボランティア活動については、多くの都道府県で活動が活発化する傾向が見られます。



4.ソーシャル・キャピタルの意義・効用
 内閣府の調査でソーシャル・キャピタル指数と失業率との関係を調べたところ、ソーシャル・キャピタル指数の高いところは失業率が低いという傾向がみられました。お互いに信頼関係が形成されていると、契約コスト、相手がどれだけ信用できるかをサーチするコストなどさまざまな取引コストが、ソーシャル・キャピタルが十分でない地域に比べて安く済むと考えられます。またソーシャル・キャピタルの豊かな地域では、リーダーシップを取れる人の割合が高いと考えると、新しく起業をする人の割合が増え、その地域の成長率を押し上げ失業率を下げるという関係があるのではないかと考えられます。

 またソーシャル・キャピタル指数の高いところは犯罪の発生件数が低い傾向にあることも分かりました。日頃から隣近所との付き合いがあるほうが、犯罪は起こりにくいということでしょう。

 それから、ソーシャル・キャピタルが豊かでお互いに信頼関係で結ばれているような地域で生活をすると、社会的ストレスが減少して健康が増進し、平均余命が高くなるというデータもあります。教育については、ソーシャル・キャピタルの豊かな地域では、教育の効果が現れやすいと考えられます。例えばPTAが熱心で子どもの教育について常に目を配っているような地域と、そうでない地域を比較してみればわかると思います。また、市民参加、政治への参加がソーシャル・キャピタルと関係しているというのも先にお話したとおりです。

 ソーシャル・キャピタルとITの関係が最近よく議論されるようになっていますが、パットナムは、ソーシャル・キャピタルの衰退原因として、テレビを挙げています。昔は隣近所の人とお互いにパーティーに呼び合ったりして接触していたのが、テレビの発達に伴い視聴時間が増え、近所づきあい、友だちづきあいが相対的に減ったというのです。そのことから言えば、ITが発達してパソコンの前に何時間も座っているような人が増えるということは、ソーシャル・キャピタルの蓄積からいうとマイナスだと考えられるわけです。一方ではソーシャル・キャピタルの蓄積にプラスになっていると考えられる面もあります。物理的な地域、あるいは時間に制約されない形の新しいネットコミュニティーというものを生み出す可能性もあります。自治体でも住民が自由に書き込めるサイトを開設しているところがあります。双方向のネットワークをうまく使えば新しいタイプのソーシャル・キャピタルを形成する上でもプラスになるのではないでしょうか。このプラスとマイナスの効果が相殺した結果、どちらが上回るかは今の段階では私も判断しかねますが、これについては今まさに研究が行われている分野ですので、私もこれから考えていきたいと思います。



5.政策的含意
 どうすればソーシャル・キャピタルをうまく蓄積して、それを平等に不均衡にならないように蓄積していくことができるのでしょうか。物理的な資本であれば政策的にどうすればいいかは明らかです。たとえば設備投資が不足して資本が古くなっていると政府が判断すれば、設備投資減税で設備投資を活発化するということが考えられます。また、日本のヒューマン・キャピタルが弱体化していると政府が判断するなら、奨学金制度を充実するとか、大学への補助金を増やすなどの政策を立案することができます。しかし、ソーシャル・キャピタルの場合には、政府にはいったい何ができるのでしょうか。ソーシャル・キャピタルというのはまさに人間関係そのものなので、それに政府が介入しようとすると非常におせっかいなことになってしまう恐れがあるわけです。ヒューマン・キャピタルや物理的な資本の場合と比べると、かなり政策手段が限られる上、かつ間接的なものにとどまらざるを得ないといえます。先ほど、市民活動やNPOの活動とソーシャル・キャピタルの蓄積との間に、うまくすれば好循環の関係が作れるのではないかと申し上げましたが、たとえば寄附税制を拡充して市民活動を活発化するとか、あるいはボランティア活動を学校の単位として認めて、子どものときからボランティアや助け合いなどに底辺を広げておくということは、間接的にソーシャル・キャピタルの蓄積につながっていくのではないかと思います。

 他には、たとえば会社務めで地域の活動に参加する機会が少ない人のために、ボランティア休暇を広めたり、ソーシャル・キャピタルの形成にプラスになるようなITの普及を政府が促進したりするのも効果があるかもしれません。私もいろいろ考えているのですが、ヒューマン・キャピタルとか物的資本などとくらべると、万人が納得するような政策というのはなかなか思いつかないというのが正直なところです。OECDなどでもソーシャル・キャピタルを蓄積するには各国の政府がどうしたらいいかを国際的なプロジェクトで考え始めていますが、私自身もこれから考えてみたいと思っています。

*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。

このページの上部へ戻る