第18回OFC講演会

演題

「アジアの共通通貨は幻想か?」

開催日時/場所

平成17年2月21日(月)午後6時半~ / 大阪大学中之島センター

講師

大阪大学大学院経済学研究科 教授 教授 今井 豊 氏

今井 豊 氏

プロフィール

  • 慶応大学経済学部卒、Ph.D (Rice University)。
  • OECD事務局を経て2003年より現職。専門分野は経済政策。
  • OECD時代には100を超えるメンバー国の経済審査を担当し、経済政策の評価をマクロ・ミクロの両面から行ってきた。日本の経済政策、及び、医療制度とその改革の国際比較に特に関心があり、Japan’s Growth Challenge, IFO Institute Journal, Entrepreneurship in Japan: selected issues, Oxford Journal of Economic Policyの他 Health Care Reform in Japan, Changing health care system in France, Separation of prescribing and dispensing of drugs: reform experience in Japan and Korea 等のDiscussion paperがある。

会場風景

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講演要旨

背 景
 最近話題になってきているアジアの共通通貨について、まず背景をみていきましょう。萌芽といえるのが、マレーシアのマハティール首相が1990年に提唱したEAEC(East Asia Economic Caucus)構想です。ASEANと中国、韓国、日本で東アジアの経済を統合しようというものでしたが、当時の諸国の反応はかんばしくありませんでした。97年、98年の通貨・金融危機を契機として、政治的な動きが活発化してきます。日本のイニシアティブによる通貨の安定に焦点をあてた多国間の支援スキーム、アジア通貨基金構想が浮上しましたが、IMFの活動と重複するということで、アメリカ、欧州、中国などから反対にあい、もろくも消え去りました。1998年には、日本による二国間の経済支援を中心としたスキーム、新宮沢構想が発表され、アジア諸国では金融協力への期待が高まりました。

 その後、2000年にタイのチェンマイで行われたASEAN+3財務相会議で重要な決定がなされました。ひとつは、二国間通貨スワップ協定のネットワークを作ること。通貨不安に襲われた国に対して、介入の通貨をお互いに融通しあう仕組みです。もうひとつは、各国の財務大臣がアジアの共通通貨は望ましいと宣言したことです。そして、二国間の自由貿易協定(FTA)やモノだけでなく人の流れやサービスも含めたより幅広い経済連携協定(EPA)といった条約締結の動きが盛んになってきました。日本は、シンガポールと2002年11月にEPAを締結しておりますし、現在はメキシコ、ASEAN、韓国、フィリピン、タイとFTA交渉を行っています。中国のほうは、ASEAN十カ国と基本協定調印にこぎつけています。さらに2002年12月に日本が中心となって、アジア債券市場育成イニシアティブ(Asian Bond Markets Initiative:ABMI)が提案されました。アジア諸国が国債等の債券を発行する際に、域内のアジア通貨建てを可能にするものです。これが成功すれば、アジア諸国のドル離れにもつながり、大変意義のあるものになります。また2002年にユーロ通貨が導入されたことも、アジアの共通通貨導入議論にひとつの刺激を与えました。



最適通貨圏論
 こうした動きを背景に、東アジアに共通通貨を導入する可能性やその是非に関する議論が盛んになってきました。その経済的な側面を分析する際に基本となるのが、「最適通貨圏論」です。最適通貨圏とは、自らの通貨と自らの金融政策を持つことが経済的に見て適切である地域と定義できます。逆にいうと、ある地域において独自の通貨を持つことが経済的に望ましい選択かどうかという問いかけにもなります。戦後の1947年には76カ国のうち65の国が独自の通貨を持っていましたが、現在では193カ国で158の通貨、これは直感的に多すぎると思います。ほとんどは政治的文化的理由で自らの通貨を持っています。自前の通貨を持たない国の例として、南米のエクアドル、エル・サルバトルはアメリカのドルを使っています。それから、カレンシー・ボードでは香港やリトアニアの例があります。一応香港ドルというお金はあるのですが、それが一対一で米ドルにつながっていて、米ドルの外貨準備の量だけしか刷れない。まさに米ドルを使っているのと同じです。エストニアやブルガリアはユーロでこのシステムをとっています。そのほかに、旧フランス領西アフリカ諸国の共通通貨、CFAフランや米ドルを共通通貨とするカリブ海諸国のECCUなどがあります。

 通貨を自前で持つ場合のコストと便益を考えてみましょう。例えば大阪府が浪速円を発行するとします。まず大阪府にとっては、お金を製造しそれを管理するコストがかかります。お金とは出すほうの借金なわけで、借りていながら金利を払わない、経済学でいうセニョレージ効果で得が出るのです。一方大阪府民にとってのコストは、逆セニョレージ効果による貸し損と、近隣県で使えない不便さ、それに両替時の為替のリスクです。便益は、独自の金融政策、すなわち浪速円の供給量を調節することによって景気安定化を図れることです。加えて非経済的な便益として自前の通貨を持つ誇りがあげられます。

 大阪府全体にとっては、セニョレージ効果は帳消しになります。製造・管理コストは比較的小さいですから、自前の通貨を持つ場合、国が小さいほど、あるいは国の開放度が高ければ高いほど国際的な取引量は増えますので不便性が高くなります。反対に、その国に特有な経済的なショックが大きいほど、メリットは大きくなります。景気が外国と同じように変動するなら、独自に金融政策を行う必要がないのでメリットは小さくなります。

 したがって、最適通貨圏の判定基準は以下の通りです。①もの・サービスの貿易の開放度、②景気変動の同時性、③景気変動が同時的でない場合は、資本や労働の移動性(例えば大阪で仕事がなければ、隣へ行って仕事を見つけるなど)。賃金、物価の柔軟性(実質的な為替レートは変わるので、それで調整もできる)。あとは、中央政府を通じて、景気のよいところからお金が流れてくるような財政調整の仕組みの有無。



実証研究
 実証研究の大半は上記①と②の基準に関するものです。まず、開放度の実証研究についてKawai/Urata(2004)に沿って見ていきたいと思います。一国の総貿易量に占める域内貿易の割合をみてみると、東アジアの10カ国はNAFTA(北米自由貿易協定:アメリカ、カナダ、メキシコ)より高いが、EUと比べると、やや低い。次に世界の貿易全体に対してどれくらい域内貿易が伸びているのかを調整した貿易強度指数でみると、東アジア10カ国は逆にEU15カ国よりも高くなります。特にEUの本格的な域内統合が始まった1990年ごろと比べると非常に高いことがわかります。

 次に景気の同時性に関する実証研究を紹介します。データ間の単純相関では同時性がうまく捉えられない問題があり、いろいろな統計的手法を用いた研究がなされていますが、ここでは基本的なアプローチと結論の紹介にとどめたいと思います。

 まずは、Cheung/Yuen(2004)の研究です。共和分モデルを使い、確率的なトレンドと景気変動を中国、日本、韓国の3カ国について分析しています。この3カ国の一人当りGDPは長期的に非常に似た確率的トレンドおよび景気循環を示しているという研究結果が示されています。
 Baek/Song(2002)では、Eichengreen/Bayoumi(1999)の先行研究に従い、構造VARモデルを使って景気の動きを経済に対するショックとその経済の反応に分けて分析しています。そして、ショックの対称性と経済の調整速度が分析の焦点となります。香港、インドネシア、マレーシア、タイ、日本、韓国、台湾が、短期の需要ショック、長期の供給ショックともに相関が高いと報告されています。Cheung/Yuen(2004)と異なり、中国は他の諸国と需要、供給ショック共に相関が低いという結論になっています。

 Chow/Kim(2003)でも構造VARモデルを用い、ショックをその国に特有なショック、地域に固有なショック、グローバルなショックの3つに分けて、その国の生産の変動がどの程度説明できるかを検討しています。その国に特有なショックの貢献度が高ければ、固有の通貨を持つのが、地域に固有なショックの場合は、地域の共通通貨が、そしてグローバルショックの場合は、世界通貨がそれぞれ適切であると解釈します。97年までの鉱工業生産指数四半期データを用いた結論は、アジア7カ国においては、その国特有のショックが大半でアジアの共通通貨は不適切であるというものでした。ところが、Chow/Kim(2003)の研究をアップデートしたReside, Jr(2004)の研究では、1980年から2003年のより新しいGDPの四半期データを用い、地域通貨が少なくとも日本との間で適切であるとの結果が出ています。これ以外にも多くの実証研究がありますが、いずれも測定の方法や用いるデータによって結果がかなり変わってきます。ただ特定のグループについては比較的結果に頑健性があり、共通通貨が適切であるといえます。そして重要なことは、アジアにおいては経済の相互関連が非常に速いスピードで高まっていますから、より最近のデータを用いた分析のほうが、同時性が高く測定される可能性が大きくなります。

 この点に関連して、最適通貨圏の二つの基準、開放度と景気の同時性、がそれぞれ独立ではないことを示した実証研究、Frankel/Rose(1998)、があります。理論的には、特定の産業に特化するような形で経済関係が深まると、その産業に独自のショックが非対称的に働く為、経済の相互関係が深まったとしても、景気の同時性が高まるとはいえないわけです。実証研究の結果、貿易関係の深化は景気変動の同時化をもたらしたことが判りました。この研究は政策的に重要な示唆を与えます。すなわち、最適通貨圏の基準は、現在の開放度や景気変動の動きで判断すべきではなく、共通通貨を導入した後どうなるのかで判断すべきなのです。

 またより最近のFrankel/Rose(2002)の研究結果によると、通貨統合によって、通貨を共有する国との貿易取引は3倍になり、またある通貨を共有することで他の国に対してネガティブな影響は出ない、となっています。貿易量のGDP比が1%上がると、それは一人当たりGDPを少なくとも3分の1%を押し上げる効果があるとも報告されています。この研究結果は、上述のFrankel/Rose(1998)の結果と共に非常に重要な政策的含意を持つものです。

 これまでの経済的な基準、開放度や景気の同時性、またその内生化の可能性といったものから判断しますと、純経済的な観点から見れば東アジアの共通通貨の導入は望ましいし、今すぐ行われてもおかしくない。しかし実際に導入しようとするといろいろな障壁が出てきます。何が足りないのでしょうか。ユーロ導入の歴史から学べることがありそうです。



ユーロ導入の教訓
 古く14世紀の初めくらいから、欧州統合に向けていくつもの提言がありました。アンリ4世が宗教的和解のために出したナントの勅令を欧州規模に広げるヨーロッパキリスト教国家連合の試み、ビクトル・ユーゴーの提言した欧州合衆国など、国家間の対立を抑制するための模索には長い歴史があります。第一次世界大戦で欧州が荒廃し、国際的な地位も低下して、欧州統合は現実的な必要性をもつようになってきました。そのときにオーストリアのクーデンホーフ=カレルギー伯が提唱したパン・ヨーロッパ主義運動がその後の欧州統合の底流となりました。その後大恐慌に陥り、ナチスドイツの台頭によって第二次世界大戦に突入します。戦後、大戦に対する深い反省から、欧州平和の鍵とカレルギー伯爵が位置づけていた独仏の永続的な和解にむけて具体的提案がなされました。それが当時のフランスの外務大臣シューマンが提案したプランで、独仏国境地帯の石炭・鉄鋼資源を共同管理化に置くことでした。かくしてドイツ、フランス、イタリアなど6カ国で欧州石炭鉄鋼共同体ができました。

 57年にローマ条約が議決され、EEC(European Economic Community)、原子力機関が設立され、12年後の市場統合を目指しました。CAP(EU共通農業政策)が導入され、3つの共同体(ECSCとEECとEAEC)を全部一緒にしてECが67年に発足するわけですが、そこに到る道筋は順調ではありませんでした。第一次拡大でイギリスが加盟しようとしたとき、ドゴール大統領が2回拒否権を発動して、その後にやっと通ったという経緯があります。それから域内の関税同盟、共同農業市場ができ、ケネディーラウンドやヤウンデ協定などの通商交渉を6カ国が共同で行うというように変わっていきました。

 ECでは第一次拡大、第二次、第三次と加盟国が増えていくにつれ、意思決定が複雑化していきます。70年代以降、スタグフレーション、慢性的な国際収支の赤字、ファンダメンタルズの悪化で、ヨーロッパはユーロペシミズムに陥ります。各国も独自の産業保護に走るような動きもありましたが、いわゆるブレトンウッズ体制の崩壊への対応として、ECのスネークと呼ばれる域内通貨のジョイント・フロート制が導入されEMS(European Monetary System)へつながっていきます。将来の通貨同盟に向けての布石が、こうした中でも着々と打たれていたわけです。

 その後、単一欧州議定書で非関税障壁も撤廃し、92年の終わりまでに域内の人・もの・サービス・資本の自由な移動による単一欧州市場の形成を目指しました。その後の欧州連合条約(マーストリヒト条約)では、物価安定基準とか、一般政府の赤字がGDP比で3%以内とか、政府の負債が60%以下とかといった経済の収斂基準を出して通貨統合計画を示しました。

 90年代の半ばには、オーストリア、フィンランド、スウェーデンが加わり、そのあと欧州中央銀行が設立されユーロ通貨が導入されます。非現金取引は99年、現金通貨は2002年に導入されました。99年のアムステルダム条約では、ユーロの対外価値を守る為の安定化協定が組み込まれ、また中欧・東欧諸国の加盟をにらんで自由・民主主義・人権尊重・法の支配を盛り込み、柔軟性原則を決めました。シェンゲン協定では国境検問を廃止しました。また、新たに欧州警察機構の設立が合意されています。さらに、軍事の面においてもEUの緊急対応部隊の創設が合意され、実際ユーゴスラビアの後処理に出ていますし、ニース条約ではEUの機構改革、アムステルダム条約でやり残したものをきちっととらえています。そして第5次拡大で中欧・東欧十カ国が加わります。EU憲法を採択し、ますます超国家的な性格を強めていきました。こうした中でも、枢軸国ドイツとフランスの影響力は衰えていません。戦後の欧州統合の歴史において、やはり枢軸国家の首脳間の信頼関係は重要な促進要因であったように思われます。

 東アジアのほうに目を向けてみますと、欧州と異なり、戦後における統合は、東南アジアの諸国間で形成されたASEANのみです。アジアでの動きをヨーロッパの動きと対比すると、非常に受身です。アジアの危機など何かあってからやる。NAFTAも南米まで広がる勢いだし世界に取り残されたくないという面もあります。また、人民元の切り上げといった短期的な便益を求めるといった側面もあります。それからやはり、圧倒的に経済統合に向けた政治的なエネルギー量が違います。
 欧州経済統合の示唆として、まず共通の歴史認識が重要です。アジアでは文化の共通性がありますが、不十分です。二度とアジアで戦争は起こさないといった強い考え、統合の哲学が必要です。欧州においてはドイツのヨーロッパ化が欧州統合の一番の目玉でした。日本の場合は、アメリカとの関係はきちっと維持していかなくてはいけないのですが、あまりに対米追従一辺倒でもいけない。もっとアジアに目を向け、どうアジア化していく必要があるのか。靖国神社問題などもそのひとつの障壁になっています。

 二つ目に、枢軸国としての役割。仮にヨーロッパに模してみますと、日本はドイツ的な役回りで、中国はフランスでしょうか。統合が望ましいといいながら、一歩距離を置くスタンスの、いわばトロイの木馬のような英国的な役割は日本にとって望ましくありません。あと、何か具体的な一歩が必要ではないかと思います。例えば海底資源。天然ガスなど先に掘って取ったほうの勝ちというようなところがありますから、そこはやはり共同管理機構みたいなものを設立することが、将来の経済的統合にとっても重要な第一歩になりえます。

 次にクレディビリティー(信用性)が挙げられます。統合の過程でうまくいってないときですら、通貨統合へ向けての布石は着々と打たれていきます。長期計画と達成可能な中間目標を設定して、その実現にコミットしていくということが必要だと思います。East Asia Vision Groupという報告書では、学識経験者や政策担当者が集まり将来のビジョンをつくろうとしていますが、今後のサミットの中でこれをフォローアップしていく必要があると思います。

 もうひとつ重要なのは制度的なインフラです。ECも膨大な官僚機構になってしまい言語の問題など、非常に問題が多いのですが、やはり事務局的なものが必要です。いま政府レベルで作業グループというのができていますが、それを制度化していくことが考えられます。

 それからもうひとつ、単一市場。単なる財の市場統合では不十分です。サービス、人、資本を市場統合するには、規制の調和、法律と税構造の接近などいろんなハーモニゼーションが必要になってきます。そのためには、自由貿易協定より経済連携協定が望ましいと思います。

 マクロ政策の面での示唆では、将来の政策協調、共同通貨への道標を提示することが必要になってきます。域内通貨間の為替レートの安定は統合の促進に貢献しますが、最適通貨圏の内生性、要するに事後的にみないといけないということにもつながってきます。



まとめ
 最後にまとめますと、共通通貨の導入は、最適通貨圏論の検討から開放度や景気の同時性が関連していることから考えて可能です。しかし、その為に必要な制度設計がまったくなされていない。今後はこの設計が非常に重要です。それに政治的なエネルギーが足りません。従って、「アジアの共通通貨は幻想か?」という問いに対しては、それは今後の協力関係の進展に依存すると、いうことで私の講義は終わります。

*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。

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