第5回OFC講演会
★東京待兼会(阪大経済学部同窓会東京支部)の秋季懇話会と共催で行いました。

演題

「デリバティブスと大阪商人の知恵」

開催日時/場所

平成13年10月26日(金)午後6時15分~ / 東京 学士会館

講師

大阪大学大学院経済学研究科 研究科長  仁科 一彦 氏

橋本 日出男 氏

プロフィール

  • 東京大学経済学部卒、博士(大阪大学)。
  • 横浜市立大学商学部助教授、大阪大学経済学部助教授を経て、現職。
  • 専門分野は金融・資本市場理論(ファイナンス)、企業金融論。
  • 日本経営財務研究学会評議員、日本ファイナンス学会副会長などを務める。

リンク

東京待兼会

会場風景

  • 会場風景

講演要旨

 昨今、デリバティブスは、金融の世界だけではなく、一般のビジネスの世界においても日常的な道具となってきています。本日は、経済学的な観点からみたデリバティブスの本質・特徴を説明するとともに、デリバティブスに、大阪、堂島の米商人の知恵がどう絡んでいたのかをご紹介したいと思います。

 デリバティブスとは、先物、オプションあるいはスワップとか、いろんな名前かつけられていますが、あえて日本語にすると、派生契約あるいは派生商品ということになります。つまり、何かから派生するものであって、「もと」になるものがないと設定できないものです。例えば、株価とか為替相場とか、「もと」になる経済活動や契約を前提として、それらの価格がこうなったらああしようという、文字通り、派生的な契約なわけです。

 以前は、為替なら為替だけをマーケットで取引していればよかったのですが、段々、そうは行かなくなってきました。その主な理由は、資本主義経済の成熟です。つまり、こう言うことです。従来、経済の成熟度は、パイの大きさ、GDPの拡大で測られてきました。しかし今や、どのような消費活動や経済活動ができるのか、といった経済の多様性がスケール(尺度)となってきたということです。経済活動、とりわけ消費活動の多様性を保証するためには、ビジネスが、消費者一人一人の消費パターンにオーダーメイドの契約で応じることが必要となりますが、これにはコストがかかります。それも商品・時間といった多様な多面的なコストです。さらにはリスクも発生することになります。従って、予めこれらの要因をできれば契約に加味しておきたい、加味しておこうということになり、いろいろなパターンの契約が発生することになるわけです。

 われわれの記憶に新しいところでは、資金の調達を何も国内でする必要はありません。オペレーションと同様に、海外での資金調達も普通のことになっています。そうしますと、リスクは、為替だけではなく、金利、賃金、原材料の価格についても生ずることになりますから、カバレッジが拡大します。これらのリスクは伝統的には総合商社がカバーしてきたのですが、それを、自分達で取り扱うために、市場を準備しようという動きが各国の政府で出てきました。これまで自分達だけの契約であったものが、市場で取引されるようになり、価格が決まってくる、ということになれば、これは、もう、経済学の格好のターゲットです。

 20世紀最大の経済学者の一人であるサムエルソンが、その弟子に、「将来価格が確率現象である状況において、派生契約を結び、市場で取引した場合に、一体、いくらの値段がつくのか?」を、博士論文のテーマとして提案しました。これに対して、マートンは70年頃のことですが、「こう考えればいいのではないか」といったフレームワークを示しました。その後73年に、ブラックとショールズが、将来の価格動向が、アインシュタインの考えたブラウン運動(生物の細胞内での分子の動きを数学的に表現した方程式)をする、そういう前提のもとで、派生契約を市場で取引したときに、需要と供給が一致したところで値段が決まるといった経済のロジックを入れると、こうなるはずだ、と発表しました。この73年は、偶然にも、シカゴの市場でオプション取引が実際に開始された年でもあったわけですが、以来、アメリカでは、オプションと先物は重要な取引となっています。

 20世紀最後の25年間の間に、経済学は大きく塗り替えられ、先物、オプションあるいはスワップといった用語のない教科書はなくなってしまいました。市場経済は計画経済に比べ資源が効率的に利用でき、たとえ現実にリスクや不確実性がある経済であってもやはり市場経済がいいと論理的に証明されたのは60年代のことです。ここで登場したのがデリバティブスでした。つまり、リスクをヘッジすることができ、それによってリスクのない状態に導くことのできるデリバティブスの契約さえ利用可能であれば、市場メカニズムがベストの経済体制であるということが証明されたわけです。

 また従来の経済学では、価格が高い・低いという相対価格なら自信はあるが、絶対価格を示すことはできませんでした。ところが、デリバティブスの世界は全く異なっていて、商品の将来価格がブラウン運動をすると仮定すると、この仮定がいいかどうかは別として、この仮定さえ認めると、ある種の契約の値段はこれこれいくらになるというふうに、絶対価格を示すことができるのです。当然、これを金融や為替の世界だけに留めておく手はありません。事実、今では、ビジネスの幅広い分野で生ずる様々な不確実性やリスクをコントロールするために、先物やオプションの考え方が利用されています。

 さて、このようなデリバティブスのルーツは一体どこにあると考えられているのでしょうか。諸説がありますが、今では、堂島にあるというのが共通認識になっています。18世紀後半の堂島で、帳合米という現物ではなく帳面上で決済する取引が始まりましたが、帳面の上での決済であれば、先物も取引できることになります。これが先物取引のルーツとされています。堂島の米商人の考えたシステムの見事さ、完成度、規模からみて、堂島にまさるものはないといえるでしょう。米の取引が当時の日本経済を左右する重要なものであったと同時に、大阪商人が商取引の合理性を追求し、その他のこと、例えば、政府の権力といったものは考えずに、その追求を押し進めたことが、それを可能にしたのだと思います。ちなみに、本学の宮本教授の研究によると、堂島の米商人が考えた帳合米制度の導入前と導入後では、明らかに米の価格変動がさて、このようなデリバティブスのルーツは一体どこにあると考えられているのでしょうか。諸説がありますが、今では、堂島にあるというのが共通認識になっています。18世紀後半の堂島で、帳合米という現物ではなく帳面上で決済する取引が始まりましたが、帳面の上での決済であれば、先物も取引できることになります。これが先物取引のルーツとされています。堂島の米商人の考えたシステムの見事さ、完成度、規模からみて、堂島にまさるものはないといえるでしょう。米の取引が当時の日本経済を左右する重要なものであったと同時に、大阪商人が商取引の合理性を追求し、その他のこと、例えば、政府の権力といったものは考えずに、その追求を押し進めたことが、それを可能にしたのだと思います。ちなみに、本学の宮本教授の研究によると、堂島の米商人が考えた帳合米制度の導入前と導入後では、明らかに米の価格変動が小さくなっているとういことです。18世紀後半といえば、アダム・スミスが国富論を書いた時代ですが、その時代に、極東の日本で、スミスも想像しなかった米の先物取引が行われ、それが価格に反映されていたということは、まさに誇るべきことではありませんか!

 日本経済にとって、今後、デリバティブスをどう考えればよいのでしょうか。最後に、この点をみておきましょう。今後、デリバティブスが縮小することは、ありえないと思います。デリバティブスという便利な道具を知ってしまえば、通常の道具として使われようになるのは間違いないからです。ただ、そのためには、デリバティブスのアイデアやデザイン料を決める、いい市場が用意されていなければなりません。ここ10年、元気がないとはいえ、日本市場は、やはり規模の大きさと経験、自由な経済という点からみても、デリバティブス取引の中心になる資格が備わっています。世界中のどこの市場であれ、自分にとって都合のよい契約を、より安い値段で取引してくれるところであればいいわけです。世界の中で、日本のマーケットがより透明性をもって、より拡大していくことを期待しており、このことは、ルーツをみても、大阪商人のより合理性を追求する姿勢をみても十分に可能であると考えています。

*この講演要旨は、OFC事務局の責任で編集したものです。それゆえ、 講演者の意図を正確に反映したものではないことをお断りしておきます。

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