第38回OFC講演会

演題

「経済史から見た現代ドイツ -『ドイツ現代史探訪』(大阪大学出版会、2011年)に寄せて-」

開催日時/場所

平成23年10月24日(月)午後6時半~ / 大阪大学中之島センター7F セミナー室

講師

大阪大学大学院経済学研究科 教授 鴋澤 歩 氏

鴋澤 歩 氏

プロフィール

  • 大阪大学経済学部卒、博士(経済学)。大阪大学経済学部助手、滋賀大学経済学部助手、専任講師、 大阪大学経済学部専任講師、在ベルリン日本国総領事館専門調査員、大阪大学大学院経済学研究科 准教授を経て、現職。
  • 専門分野は経済史・経営史、特に近代ドイツにおける工業化の分析。
  • 著書に、『ドイツ工業化における鉄道業』(有斐閣:第50回日経経済図書文化賞)。 『西洋経済史』(有斐閣アルマ、共著)。 論文に、「地域性から見た十九世紀ドイツの金融市場」(『社会経済史学』) 「19世紀ドイツ・プロイセンにおける鉄道技術者の挫折-ベルリン・フランクフルト鉄道建設におけるC.F.ツィムペル-」(『企業家研究』)など。 訳書に、ピーター・テミン著『大恐慌の教訓』(東洋経済新報社、共訳)。

講義風景

  • 会場風景
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講演要旨

 2011年10月末現在(講演会実施日当時)、大きな話題のひとつは、2010年のギリシア債務問題発覚に端を発したユーロ危機でしょう。EU通貨統合の動揺は、ヨーロッパ経済の先行きに不安をもたらし、ひいては世界経済の動向にも強い危惧を抱かせるに至っているのですが、そのなかにあって、ドイツ―ドイツ連邦共和国の経済は、好調といってよい状況にあります。ユーロ安に後押しされた輸出ブームは内需拡大につながり、2010年実質GDP成長率3.6%という先進工業国中では高い成長率を記録しました。何より明るい兆しは、失業の減少でしょう。一時500万人にすら近づいた失業者数は、92年以来はじめて300万人を切り、失業率は7%台前半から6%台まで回復しています。2012年についてもドイツ政府は2%程度の成長を予測していました(後記 その後1%以下に下方修正。民間研究機関の予測はさらにそれを下回る)。
 この好調は決してユーロ安による一時的なものではなく、世界の工業の一拠点であるドイツ経済の伝統的な強さが発揮されたものだともいえます。ドイツは世界第2位の輸出国ですが、輸出の内訳でみると第2次産業(=工業セクター)の大きさは特徴的です。19世紀末以来「Made in Germany」は高品質製品の代名詞であり続けていますが、今日もこれはあてはまり、ドイツ経済は「グローバリゼーションの最大の勝者」とも呼ばれるのです。
 しかしもちろん、今後のなりゆきへの不安材料もあげていくときりがありません。輸出主導の成長という戦後西ドイツ以来のモデルには限界があると指摘されて久しく、何よりもヨーロッパ経済への依存は(2012年度成長率予測にみられるように)大きな不安定要因となっています。良質な労働力の維持にも不透明感がぬぐえません。雇用維持優先政策は2008年のリーマン・ショック以降の雇用回復に効果を収めましたが、一方では賃金水準は上昇せず、労働生産性も停滞気味です(2007-09年、約5%低下)。A.メルケル政権による劇的な脱原発への転換は大きなニュースとなりましたが、ドイツ経済界にはこのエネルギー政策の急転換への評価もふくめ、A.メルケルCDU/CSU・FDP連立政権による経済政策への不信感も高まっています。ユーロ防衛策をめぐるメルケルの指導力への評価は、決して安定したものではないのです。
 しかし最も本質的な「不安」とは、今日のドイツ経済の好調が、戦後西ドイツの復興と成長を支えた「社会的市場経済」の抜本的な見直しを含む改革の成果だともされている点にあるのではないでしょうか。1989/90年のドイツ再統一後、経済的に破綻した東部ドイツ(旧・東独(ドイツ民主共和国:DDR))を復興することには当初の想像以上の困難がともなわれ、それら新連邦地域はなかば恒常的な高失業地帯になってしまいました。結果的にはこのために「統一の宰相」H.コールの保守(中道右派)政権は倒れ、いわゆる赤緑連立(社会民主党・緑の党連立)のG.シュレーダー政権への交代が起きました(1998年)が、「ドイツのブレア(=ニュー・レイバー)」を気取るシュレーダー左派中道政権においてこそ、ときに「新自由主義的」との内部批判もあった、社会システム・雇用市場の大胆な改革がおこなわれました。「ハルツⅣ法」に代表される改革路線(「アジェンダ2010」)は、2005年にシュレーダーを政権から追ったCDU/CSU中心のメルケル政権(大連立~右派中道)でも継承され、 2008年金融危機後の景気落ち込みからの回復にも大きく貢献したと評価されます。
 しかし、「国家給付を減らし、個人の自己責任と自助努力を促進する」方向の改革断行は「社会的市場経済」の見直しに他ならず、戦後の「ゼロ・アワー」からの復興と「経済成長の黄金時代」とよばれる持続的高成長という、半世紀にわたる成功の経験に安住することができないことを意味するのだともいえるのです。
  一方、比較的最近―まさに90年代、「立地としてのドイツ」への不安が唱えられ、改革の必要が意識され始めたころから―、ドイツ経済のシステムとしての本来の強みを、戦後の「社会的市場経済」としての側面には求めるべきではないのだという考えも有力なものとしてあらわれています。ドイツ経済の成長を、20世紀後半だけではなく、より長い歴史時間のスパンでとらえたとき、1870年代の欧米経済におけるいわゆる「大不況」後、ドイツ経済には先進的なシステムがいちはやく成立したと考えられます。19世紀末のグローバル競争の中で、欧米の工業化は新しい局面を迎えます。科学技術の発達と製造がより緊密に結びつくようになったのですが、この経済史上「第二次産業革命」と呼ばれる「生産の科学化」の主要な担い手は、間違いなくドイツ人でした。高度な技術革新とその応用により、単純な大量生産ではなく非物質的な価値の創造を軸に製造業を発展させたとき、着実な経済成長が開始され、それは20世紀前半の政治的混乱によって中断されたものの、高成長の形をとった急速な回復を経て、20世紀第4四半期には本来の安定的な成長に立ち戻ったと考えるのです。この観点からすれば、いわゆる「経済の奇跡」の時期の高い成長率を過大評価することはできないことになります。いや、それどころか、「経済の奇跡」の「成功」体験にこだわることは、ドイツ経済の本来の強みを損なうレジームの固執につながるはずです。
 過去=歴史への探求から今後の政策の方向を示す点で、こうした見方(現代の経済史家W.アーベルスハウザーをその代表者とできます。)には、にわかには否定しがたい説得力があるでしょう。そして現に、輸出を支える高品位多種生産の維持のために、「19世紀末以来」の革新・技術開発力の維持・発展が、連邦政府によっても政策的に希求されてきました。80年代以降、研究費総額で米・日に格差をつけられている事態の改善が課題とされ、もうひとつの課題である財政再建との折り合いにもメルケル政権は苦慮しています。
 しかし最近のユーロ危機下、再統一20年を経たドイツ=「ベルリン共和国」が何をなすべきかを考えるとき、こうした「競争力の本来の起源」探索や「社会国家」変質の是非論の文脈とは別に、「ゼロ・アワー」にあらためて思いを致す必要があるように思えます。かつて20世紀前半のドイツは、やや先立つ時期にB.ブレヒト(1898-1956)が『三文オペラ』に記した名台詞「まず食い物、モラルはその次だ!(“Erst kommt das Fressen, dann kommt die Moral!)」を実践しました。その結果ナチもろともに「ゼロ・アワー」の奈落に落ちることで、「モラル」をなくしてしまえば結局は「食い物」も無くなってしまうことを体験せざるを得なかったといえます。もちろん現在のドイツに侵略国家の再来を恐れる必要はない。ですが、国家の経済政策運営において「モラル」がなければならないことは、ドイツ経済史から私たちが得られる―そして、得なければいけない―大きな教訓であるようです。

*この講演要旨は、講演者本人が講演の原稿をもとに作成したものです。

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