第39回OFC講演会

演題

「ビジネスにおけるオーラルコミュニケーションリスニング」

開催日時/場所

平成24年6月2日(土)午後5時~ / 東京 学士会館 202号室

講師

大阪大学経済学研究科 教授 高橋 伸光 氏

高橋 伸光 氏

プロフィール

  • 関西学院大学商学部卒、商学修士。
  • イギリス留学のち商社駐在員としてイギリス、フランス、ドイツなど約8年間滞在、 大阪府教職員(大阪府立貿易専門学校)、大阪外国語大学(英語専攻)教授を経て、2007年より現職。
  • 米マサチューセッツ工科大学Sloan School of Management客員研究員、豪州Deakin University,Bowater School of Management and Marketing 客員研究員等を経験。
  • 専門分野は、ビジネス英語、マネジメントコミュニケーション、貿易実務。
  • 主な著書・論文は 『新・実用英語ハンドブック』(共著、大修館書店)、「レトリックとビジネスコミュニケーション」「プレゼンテーションにおける非言語コミュニケーション―パラ言語」など。

講義風景

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講演要旨

コミュニケーションの形態は多様であるが、原型は、オーラルコミュニケーション、つまり、言葉によるコミュニケーションである。オーラルコミュニケーションは「スピーキング」と「リスニング」から構成されている。

ビジネスでのオーラルコミュニケーションにおいては、専らスピーキング能力に重きが置かれてきた。例えば、ビジネスセミナーでよく開講されている「話し方教室」「プレゼンテーション講座」は、非言語を含め、スピーキングに関するスキルを追求するものである。しかし、コミュニケーションは話し手からの一方的なスピーキングだけではなく、受け手のリスニングがあって初めて成立するものである。リスニングとは、オーラルメッセージを受け取る能力のことであり、相手のメッセージを感知する能力の1つである。メッセージを感知する能力とは、言語以外のメッセージ(非言語メッセージ)をも含めた広義のメッセージを受け取る能力のことである。

現代の情報社会での我々の日常生活やビジネス活動において、その重要性にもかかわらず聞くことは特別の努力を必要としない受動的行為だと考えられている。しかし、リスニングという行為、リスニングプロセスは様々な要素が含まれ決して単純でないのである。

今回の講演では、コミュニケーションの定義、リスニングの重要性、そして、リスニング・プロセスとリスニングの複雑さについて述べ、さらに、「話術」という言葉があるのに対して、「聞術」という言葉がないことにみられるように、スピーキングとリスニングのアンバランスについて、E. T. Hallの高・低コンテクストでのコミュニケーションや日本人の言語観、西欧のレトリックから述べた。要点を下記に列挙する。



・ビジネスピープルの1日の仕事の45―63%はリスニングすることだという。言い換えると、給料の45―63%はリスニングに支払われていることになる。さらにリスニングされた75%もの多くは、無視、誤解、忘却されるというアメリカでの研究がある。この数字からしてビジネスでのリスニングの効率と重要性が認識されるべきである。

・学校をはじめとする教育現場で、言語コミュニケーションの4つの能力のうち、話す、読む、書くについては組織的なカリキュラムが組まれて訓練が行われている。それに比べると、4つの能力のうち、最も基本である聴く(リスニング)の訓練がほとんど施されていないが現状である。

・航空機のコックピットと管制塔の間、およびコックピット内での会話でのリスニングミスが人命に関わる重大な損失につながった事故の具体例を示した。また、よいリスニングから得られる報酬について、WolvinとCoakley の共著 Listening (1996)から、リスニングの効用10項目をビジネスの関連で説明し、リスニングの重要性をみた。

・BenjaminならびにWolvin と Coakleyが提唱したリスニングモデルを紹介し、リスニングプロセスの複雑さを述べた。リスニングには聴覚刺激のみのならず視覚刺激も含まれる。目でもリスニングをするのである。

・日本語の「聞く」と「聴く」を比較してみる。「聞く」は英語では"hear"にあたり、「聞く・ヒアリング(hearing)」は、音や言葉が本人の意識とはほぼ無関係に、自然に耳に入る「聞こえる」という状況を指し受動的である。それに対して、「聴く」は英語では"listen"にあたる。「聴く・リスニング(listening)」とは、耳を傾けて注意して選択的に「聞く」こと、ある種のフィルターを通して聞くことであり、「聞く」と比べ能動的である。日本語の「聴」は、中国の古い漢字の「聽」からきている。この「聽」を分解すると、「十個の目、一つの心、耳と王」で構成されており、「我々は、十個の目と丸ごとの一つの心と耳を使ってきけば,王様になれる意味」と考えられる。聴くということは、目で非言語メッセージをも得て、心できくのである。言いかえれば、聴く時に、耳だけではだめであって、われわれの目と心を使わなければならない。これは穿った解釈であるが、正確には、「聽」は、『漢語林』によると、「耳」+「壬」の偏と旁からなり、旁はまっすぐな心、音符の「壬」は、つきだすの意味である。耳をつきだし、まっすぐな心でよくきくの意味を表す。「心でもって」よくきくのである。

・高コンテクスト文化(HCC、日本)とは、人々がお互いに深い人間関係で結ばれて、情報は広くメンバー間で共有され、単純なメッセージでも深い意味をもちうるような文化である。一方、低コンテクストの文化(LCC、U.S.A.)では、個人主義が発達し、個人の疎外・離散が顕著なメンバー間で共有される前提が限定されているために、コミュニケーションで個人は明確なメッセージを構築して、自らの意図を他者に押し出さなければならない。コンテクストに頼らない言語コードを駆使することが期待されている。表現の例として、HCCとLCCお互いをみると、(1)HCC:「お世話になります」(メールや電話)→LCC: お世話した覚えはない。(2)HCC:「今年もよろしくお願いいたします」(年賀状)→LCC: 具体的に何をお願いしているのか。(3)LCC:「論理的にはっきり言って」→HCC: 脅迫されているように感じる。HCCとLCC間のビジネス交渉ではお互いが誤解する可能性が高い。

*この講演要旨は、講演者本人が講演の原稿をもとに作成したものです。

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